きまま日記

'02(02/01/04〜00/03/30)

02/12/09(月) くるみ割人形
朝、カーテンを開けると、外は真っ白。関東地方では例年より早い初雪でした。そんな中、バレエ公演くるみ割人形がたまたま目にとまりました。ああ、もうそんな時期なんだなあ。一気に年末気分。

5年前に米国西部で初めてくるみ割人形を観て以来、ほかのバレエ団の公演を観たり、ジャズ風アレンジ、Donald ByrdのThe Harlem Nutcrackerというダンスを観たり、最近は12月にくるみ割人形が定番になってきてしまいました。思い出したらすぐにも観たくなって予約しようとしたら、これ!と決めていた松山バレエ団の森下洋子&清水哲太郎主演の公演が既に完売。夏から販売開始だもの、当然かなあ。なんだか気が抜けて、もういいやって気になり、以前おみやげに買ってきたCDをごそごそ探し始めました。せめてチャイコフスキーの組曲でも聴いて、雰囲気でも浸ろうっと。

02/12/02(月) 秋のグラデーション
先々週の週末は紅葉を見に六義園(りくぎえん)というところにいったのですが、あちこち紅色に色づいたもみじがみごとで、連れて行ったお客さんそっちのけできゃーきゃー喜んでしまいました。
今週末も生憎の雨。近所の公園にさしかかったところ、半分紅葉しているもみじの木を見つけました。一本の木なのに、ところどころ緑だったりオレンジだったり真紅だったり。11月は東京もかなり寒い日が続いていたけれど、やっぱり紅葉するほどには寒さは徹底してなかったのかな。
まあ、まるまる紅葉していなくて緑が残っているっていうのも、それはそれで風情があってよいものです。東京の晩秋だなあ。
願わくば、今度の週末こそ晴れた空の下で紅葉が見れますように。

02/11/24(日) ちかごろ嬉しかったこと3連
<その1>
久々に会った甥たちにまだ慕われていると感じたこと。可愛がっている甥たちが、いつになったらおばさんを疎み始めるのかと会うたびに心配でならないので、「ともこ姉さんとまだ遊び足りないよ、あんまり会えないのにさ…」ってかわいいこと言ってくれるのに、きゅーん。おばちゃん、うれちい。

<その2>
浅草寺でひいたおみくじで、大吉だったこと。占いはいいことしか信じないたちなので、これが凶でもあまり気にならないけど、吉だとちょっとうれしい。一緒にひいた人が凶だっただけに、ありがたみがよりあるみたいで、なおうれしい。えへ。

<その3>
冬のボーナスの査定が夏よりちょっぴりよかったこと。金額的にはたいした違いはないのだけれど、このところずっと悪かったから、少しでもよくなればほっとする。一直線に悪くなってるよりかは。

というわけで、ショックだった3連ちゃんもあれば、ハッピーなことも続いてあるわけで、これからも、うれしかったりほっとしたりがっくりきたりが繰り返しあるんでしょうね。

02/11/15(金) ちかごろショックだったこと3連
<その1>
現れそうな18日夜から気にしつつ空を見ていたのに、全然晴れなくて、しし座流星群どころが星の一つも見えないこと。99年からずっと機会を窺っていたのにぃ。日本でも明け方や深夜、雲の無い地域で数個の流星群を見た方がいるようですが、そこまで気合入ってない中途半端な私は、なんとなくがっかり。33年たったら、「前回は期待してたのに全く見れなくてね。」なんて思い出すんだろうか。

<その2>
週末に食べた焼き鳥屋さんの焼き鳥がおいしくて、特にハツがおいしかったので、ハツ食べたいなーハツハツ…と思いつつしばらく我慢してたら、昨日朝、開店前のスーパーの前に焼き鳥屋台を発見!メニューにはハツもある!よし、夜はここで買って帰ろうと心に決めて、いさんで帰ってきたら、既に店じまいしてた。ガーン。

<その3>
先日見た番組に出ていた同世代の女性が、仕事をはつらつとこなし、笑顔が光っていた事。それに引き換え自分は…と情けなくなってしまった。うつうつ。

あーあしょんぼり、っていうのと、少しずつじわじわくるものと、激しいがっかりと、質はいろいろだけど、今一番こたえてるのはその2です。ああ、つくづく、くいしんぼうだね。

02/11/15(金) かりやど
兄の家で平和に暮らしていたやどかり君たちが、我が家に引っ越してきました。塗装工事の間の一時退避です。エンゲージリングではありませんことよ
なにしろ、昔飼っていた小鳥を死なせ、池の魚が不慮の死を遂げ、手間のかからない観葉植物を枯らせ、サボテンさえも枯らせてしまった経験のあるワタクシ(兄にはとてもそんなこと言えなかった…)、お預かりしてからこの数日、なかなか緊張感のある生活を送っています。
会社から帰っては、生きてるかな?シュシュシュ(霧吹き)、朝起きては、自分が水飲むのと同時にシュシュシュ(霧吹き)。こんなもの、食べてくれるかな?数日動かないけど、死んでないよね?湿度高すぎないかな?うるさくないかな?
この部屋はどうも乾きすぎる。シュシュした後に、微動だにしなかったやどかりたちが一斉に動き出すのを見ると、水分を欲しがってたんだろうなあと思います。
ヤドカリって何を食べるの?温度は?湿度は?
とりあえず基本的なところは聞いたものの、どうも心配でしょうがない。夜はガリガリうるさくてしょうがない。でも、世話しなくちゃいけない誰かがいる生活っていうのも、たまには(あくまでたまにだけど)はりあいがあっていいもんですよね。
02/11/12(月) 平和を知らない子供達
『パレスチナ人過激派が銃乱射しイスラエル人が死傷、イスラエルはガザ地区の工場をミサイル攻撃。』
ほかのニュースの最中に、画面上部にテロップで流されるだけの、日本ではマイナーなニュース。
今まで私もきっと、ああまたか、中東って危ないな、ぐらいしか思わなかったけれど、中東に足を踏み入れ、歴史や文化に興味を持つようになった今は、こんな事件を聞くたびに胸がきりりと痛んでしまう。
遠い異国のたった一行のニュースだけれど、現場では人が殺傷され、暴力をふるわれ、火災で家や財産が焼かれ、盗み奪われているということだ。

教室でたまたま先生に指されなかっただけ、たまたま道で人にぶつからなかっただけ、たまたまタイミングよく電車がきて遅刻しなかっただけ、そんな小さな災難を避けられた偶然よりも、もっとものすごい確立で、私たちは本当にたまたま、平和で物質的にも豊かな国に居るのだと思う。

奪われたり傷つけられたりする事が日常行われ、生命さえ危険にさらされるような毎日、自由な発想や発言が許されない状況、貧困や病気が蔓延して外国の援助に頼らざるを得ない国情、他者から不当に自分のものを奪われてしまう風潮、少なくとも現代の日本に生まれた私たちは、それらを避けて生きていられる。それは本当にたまたまそういう地域や時代に生まれただけなのだという気がする。

02/11/01(金) シリア、どうだった?
初めての中東旅行から帰国して一週間、ようやく落ち着いて振り返ることができるようになってきた。関西国際空港に着いた途端に痛み出した胃。この痛みには覚えがある。少し無理な状態で一つの事に集中してとりかかった直後に、よく三日三晩寝込んだ。シリア北部ハッサケの街ストレス性の急性胃痛だ。
シリアでも、知らず知らずのうちに胃に相当負担をかけながら旅をしていたらしい。

いつもは、「ヒ・ミ・ツ」なんておちゃらけて、事前に行き先は言わずに旅行に出かけていたが、今回はみんなに「シリアに行くんだよーん」と宣言していた。だから帰ってくると、日本では余り知られていない遠い異国について、「シリア、どうだった」と口々に聞かれたのだが、なんと答えていいのかちょっと戸惑った。「とても楽しかったよ。」というのは嘘ではないけれど、そう即答できるほど単純な『楽しい旅行』ではなかった。かといって苦難の旅だったかというと、そうでもない。そこそこ楽しかったし、そこそこ苦労もあった。聞く人はどんな答えを求めて聞くのだろう?通りすがりに聞かれて一言で返せるような、簡単な場所ではなかった、というのが一番妥当な答えかもしれない。

貴重な体験だったと思う。情報社会の現代では、地理的な距離よりも情報の少ない国ほど遠い異国に感じられる。日本にとってのシリアもその一つ。本の知識やテレビ番組や他人の目からみた紹介文からだけでは、どんな国なのかは窺い知るのみ。自分の五感を通じて得た情報とは大きく異なる。特に、日本では米国経由の情報が多いために、無自覚に米国寄りの視点に立ってしまっている。シリアは長年、米国からはテロ国家、中東の和平を乱す軍事独裁国家としてあまり好意的に捉えられてこなかったために、また、日本ではなじみの薄いイスラム教徒が多く住む国であるため、見知らぬ国、恐い国というイメージが先行してしまっている。現在米国と緊張状態にあるイラクの隣にあって、確かに日本に比べれば戦乱に巻き込まれそうな『危険な国』の度合いが多少高いかもしれないけれど、そんなことを言ったら、同じく北朝鮮と陸路で続く韓国も危険度が高いことになってしまう。
誰にとって『恐い国なのかというと、少なくとも日本人にとってではないような気がする。

シリアのことに限ったことではないが、今度の旅では、世の中のできごとの情報源を新聞やテレビのマスコミだけに頼るのは大変危険だと実感した。その点、国の管理や報道の規制にもとらわれず、自由に情報を発信取得できるインターネットは、さまざまな視点からの情報を得ることができて、大変ありがたい存在だと思う。

正直にいえば、事前の期待が高すぎたせいなのか、旅の途中まではシリアのよさをそれほど感じられずにいた。というか、そんな余裕がなかった。初めて海外一人旅をしたときのように、いちいち戸惑い、驚き、傷つき、浮かれて、あせって、イライラして、一日に様々な感情が湧き上がってくるのを処理しきれずに疲れてしまっていた。でもそれは、生活習慣の異なる地域に慣れる時間が、今までの場所よりも多少多くかかっただけで、おそらく一週間では短すぎたのだろうと思う。あちこち旅したい、浅く広くタイプの私は、同じ場所に何度も訪れることは少ないけれど、中東には少し慣れただけなので、今度は楽しむ余裕を持ってまた行きたいと思う。

02/05/17(金) tea or coffee?
これまでずーっと紅茶派で、殆どコーヒーは飲まないできました。レストランや喫茶店や機内サービスで頼むのも、紅茶:ウーロン茶:コーヒーで7:1:1の割合。だから、中毒になるほどのコーヒー好きの気持ちなんてわからない、と思っていました。ところが、誰かのお土産のインドネシア バリのコーヒーが回りまわってきてから、仕方なくそのコーヒーを飲み始め、最近気がついたら殆ど紅茶を飲まなくなっていました。注文する飲み物の割合も、1:2:6ぐらいにまでなりました。
バリコーヒー(Bali Kopiとあったので、バリコピと読む?)も底をつき、そろそろ紅茶に帰ろうと思っていたところ、2月にヴァヌアツに行ったときのお土産に買ってきたコーヒーを渡しそびれて、結局自分であけてしまい、やはりコーヒーを飲みつづける毎日。
こうやって世界のコーヒーを飲んでみるのも面白いですね。ちまたでは、スターバックスが大人気だけれど、まだ日本では未体験。カフェブームでもあるし、いろいろなお店のを飲み比べてみるのも面白いかも。ささやかなことでも、楽しみが一つふえると嬉しいですね。
vanuatu coffee
昔はコーヒーはカフェインが強くて紅茶よりも不健康なイメージがありましたが、本当はどうなんでしょう?何事も過ぎたるは及ばざるが如しなんでしょうが、普通に比較してどちらが健康にいい、なんてあるのかしら?…と、最近やたら健康が気になるお年頃。
02/05/07(火) 右手だけの手袋
部屋片づけをしていたら、処分しようと思っていた方の袋に、右手だけ編みあがって左手が途中までの手編みの手袋を見つけました。懐かしくて、思わず手にはめながら回想。折りしも、掃除用BGMに大音響で流していたのは、サザンの曲。当時よく聞いていた曲でした。この手袋を練習台にして、そういえば手袋あげたんだっけ。初めての手袋にしちゃ編み目もなかなかきれい、なんて自分ではご満悦だったのに、プレゼントした手袋は使ってるうちに紐がほどけてきちゃって、初心者でほころびも直せない私を横目に、器用に紐を結び合わせていたっけ。BGMにのって、いろいろ記憶が蘇ってきてしまいました。
tebukuro
もともと練習用だったので、残り少ない毛糸で編み始め、途中で足りなくなってしまったのでした。右手は編み上げたからもうコツはつかめたぞとそのまま本番にとりかかったので、とうとうこの手袋は未完のまま残ってしまいました。

手袋をはめた右手をにらみつつ、しばしうーんと考え込み、未完の手袋はもう一度冬物の方へ。来年また、懐かしくもちょっと切ない思い出に浸るのもいいかもしれない。
よくよくみると、たしかにこの手袋、あちこち編目が変です。ほころんでしまった方の手袋はその後どうなったかなァ?

02/04/08(月) 魔のカーブ
帰宅途中、ガードレール内側の植え込みに妙なものを見つけた。こんな鎮座されていると、なんだか飾り物のようだけど、これは車の頭部分!?

この道は、スピードを出せそうな直線の後に続く微妙なカーブの場所で、よくこの先で警察が網を張っている。以前タクシーの運転手さんが、無線で「XX中」って連絡していて、「これってネズミ捕りってことなんだけどね」とこっそり教えてくれた事がある(ここで公表しちゃったらこっそりにならないから伏字)。

よくよく注意してみると、その先のガードレール、裏側に強化棒みたいなのがある。こんなの見たことなかった。確かにここで猛スピードで突っ込んでこられたら重症かも。怖い怖い。やっぱり自分の身は自分で守らねば。ガードレールがあっても、青信号になっても、常に周りに注意していないとね。

4月6日から全国交通安全週間です。

02/03/10(日) フリーマーケット
初めての試み。フリーマーケットに参加してみた。1スペース(2m x 2m)の参加費¥1,000。
今日は雲ひとつ無い快晴で、フリマ日和。ちょっと暑すぎるくらい。10時に抽選をして場所を決め、品物を並べ始める。

『フリーマーケット』のフリーがfreeではなくfleaだと知ったのは、多分アメリカでflea marketの文字を見てから。flea?ノミ?あっ!だから蚤の市?なんで蚤の市っていうんだろうと思ってたのよ。

商売開始の11時前からお客がぞろぞろとやってきて、これはいくら?と聞いてくる。ちょっとまって!まだ品物を並べ終えてないのに。早いうちに回らないと、良いものはなくなるって皆知っている。最初のお客さんは、迷いもなく、これとこれとこれ、11時の鐘とともに値切りもせずに買っていった。
マーケットの開始前と開始後がいちばん繁盛した。閉店間際の投売りを見込んで買う人が多いのだろうか?
休憩時間に他の店も見て回ったが、いろいろなものがかなり安く売られていた。でも、今の私に必要だと思われるものは一つもなくて、結局何も買わなかった。マーケットクローズ時間になっても、どの店もかなりの品物が残っていた。フリーマーケットってそういうものなんだろうか?人気の店が完売していてもいいような気がするけど、供給過多なのかな?ニーズに合わない品物を出しているのかな?売れていそうなものを調べて、次回は客層に合わせた品物を出せば初回よりは成績あがるかな?マーケティングもいろいろな要素が絡んで難しいのだろうけれど、ちょっと面白い。

結局売れた品数は19、合計¥5,190。スペースを共有した友人の分との合計は1万円以上。
終わってみると、皆さんお目が高い、二束三文で売っても構わないようなものは売れず、この値段じゃちょっともったいないけど、というかなり良質のものが売れていた。

今日の売上は、夕食代で殆ど消えてしまったけれど、いい勉強になったと思う。

02/01/04(金) 三馬麺
午年(うまどし)のこのときを待っていた!…わけではないのですが、昨年撮った写真で新年の話題にちょうどいいのが見つかったのでご紹介します。
『サンマーメン』という言葉を初めて聞いたのは、つい最近、ほんの数年前でした。横浜(神奈川?)名物なんだそうです。市民の経歴も長いのに、名物を知らなかったなんて、ああくやし!と、その名を耳にしてからは、サンマーメンを食する機会を窺っていました。そういえば、駅前のラーメン屋さんにも、サンマーメンと書いたのぼりがちゃんとたっている。なんで今まで気づかなかったんだろう?

どんなラーメンかというと、決して秋刀魚や馬肉が入っているわけではなく、もやし、白菜など野菜たっぷりの具だくさんラーメン。いわば、しょうゆ味の肉野菜あんかけチャンポンです。

サンマーメンの漢字は、『三馬麺』『生馬麺』『生碼麺』等、いろいろあるようです。由来もいろいろで、馬のような大食向け(ボリュームのある)麺であるとか、『生馬』が中国語でモヤシの意味であるからとか、中国語で『生』がもやしのシャキシャキを表し『馬』はラーメン上に載せることを意味するとか、三種類の『碼』(具)からとか、本当に様々あります。

写真は、京浜急行金沢八景駅の駅前のラーメン屋さんのサンマーメンですが、大変美味しかったです。
横浜においでの際には、是非お試しください。

神奈川サンマー麺紹介のページ
http://www.yamato-gr.co.jp/asahi-rk/sanmamen/index.htm

 

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