中東

UAE入国

羽田−関西空港−ドバイ

10月1日に関空−ドバイの直行便が開通したばかりのエミレーツ航空を利用して,シリア・ダマスカスへ飛んだ。航空会社も,関西空港も,ドバイも,中東も,何もかも初めてづくしで,なんだか緊張する。

羽田では,地上係員に,シリアのビザはどれかと聞かれた。「すみません,まだ慣れてなくて。」チケットも割とすんなり取れたし,情勢の不安定な中東方面へ行く人は,まだそう多くはないみたいだ。機内も,満席ではなかった。お金持ちの国の航空会社だから,内装はさぞかし…と期待していたが,豪華というほどでもなく,ごく普通。乗務員の制服も,アラビアンナイトに出てくるような,ひらひらの布にゴージャスな宝石という装いなんかではもちろんなく,普通のスーツ姿である。唯一特徴的なのは,女性乗務員の赤い帽子から顔の横に垂れているスカーフ(右図)。

関西空港から10時間ほどかかって,朝の5:20にドバイ着。
廊下の向こうから,口ひげをたくわえ,頭も体も全身白い布で覆ったオバケのQちゃんスタイルの男性がのっしのっしと歩いてくる。おおー,人形ではないのか?ホンモノだぁ。初めて間近でアラブの正装を見たよ。

入国管理官は,黒いチャドルをかぶった女性だった。早朝から,お化粧もバッチリ。でも無愛想。パスポートを引き寄せた手の甲に,複雑な茶色い模様があって,ギョッとする。ペイントだろうなー。多分,入れ墨ではないだろうなー。

Baggage Serviceに荷物を預け,ロビーにあったATMでキャッシングした。金額は,一番下の200を選んだが,これって一体いくら分になるんだろう?
お金の単位さえも,空港から町までの時間も,物価も,観光地情報も地図も,ドバイの情報が殆どないのに,お昼に出るダマスカス便までの半日,さて,どう過ごそう?

ドバイの近代的な町並みとりあえずバスに乗って市街へ出た。結構バスの走りは攻撃的。警笛をボンボン鳴らして走る。Sheratonなどホテルが密集している辺りで降りる人がいたので,一緒に降りてみた。まだ朝の8:00で,町も始動し始めたばかり。ぷらぷらと,川の方へ向かって歩く。

街中に女性がいないこともないけれど,その割合といったら,男95:女5という感じ。誰かが,男性の圧倒的な数の多さに恐怖(存在の危機)を感じると書いていた。わかるような気がする。

街中の両替所を覗くと,円は0.03だった。ということは,1ディナール33円。思ったより物価安いかも。空港から市街へのバスは約30分で100円。ドバイ博物館

博物館があったので,入ってみた。博物館の前には大型バスが2台停まっている。もしやと思ったら,やあ,やっぱり日本人ご一行だ。機内で一緒だったトルコ周遊ツアーの皆さん。こんな朝っぱらから博物館に押しかけるのなんて,トランジットで時間つぶしの観光客くらいだよね。

1950年代のスーク(市場)の様子を再現した展示は,今,日本でもよく昭和30年代の町並みの再現をしているのと似た感じ。年代的にも同じだし。中高年が懐かしむ時代だ。でも照明が暗くて,リアルな人形がたくさんで,臆病者の私には,正直言ってコワイ。前のグループが居なくなって私一人,これじゃオバケ屋敷だよう。突然効果音があがったり,ビデオで映像が動いたりすると,びくっとする。向こうの人形が動いた!ぎゃー。
…よく見たら,警備員だった。ふえーん。
こんなちょっとしたスリルさえなければ,割と楽しい。街中でも十分異国情緒は感じるけど,ここはさらにタイムスリップして,映画の中みたい。

博物館の土産物屋にあった地図で,現在地と街の位置をしっかり確認。川に渡し舟があるのを発見。これで向こう岸に渡ろう。
川べりを見渡すと,船着場が左右にある。下流の方が距離が短くゴールドスークに近そうだ。しばらく眺めていると,その辺に腰掛けてたおじさん二人が「舟かい?2箇所あるよ。」と教えてくれた。
アラブ人との最初の会話。おじさんたちは暇そうにしている。何かしているのかな?遠慮がちに,「写真撮ってもいい?」と聞くと,恥ずかしがりながらも,「いいとも!」

渡し舟は,すぐ出るところだった。さっきのおじさん達に聞いたとき,料金は1.50ディナール(50円)と聞こえたので,1ディナール札を2枚渡したが,お釣りが返って来ない。隣の英語で喋っている白人一家に,いくら払いました?と聞くと,0.50だと言う。舟渡しに「お釣りちょうだい」と訴えると返って来た。もらう方も,2枚も渡されて驚いたのかもしれない。


たった5分の船旅


渡し舟と高層ビル

対岸に着くと,博物館に居た日本人ツアー客もいた。結局,皆狭い中,同じ所を周っているのね。

アーケードになっている市場の中をうろうろ歩く。香辛料,台所用品,衣料品,雑貨,など豊富に物が取り揃えられている。


香辛料の詰まった袋が並ぶ路地


文字通り金銀ばかりが並ぶ金市場


色とりどりのドレス

ゴールドスークと銘うっている通りは,文字通り貴金属店ばかりが並ぶ。値段は殆ど書いてないので,高いのか安いのかわからない。客を見て,値引いたりおまけしたり,交渉次第で値段が動くのだろう。特に食指も動かず,でも,じーっくり眺めた。かわいいピアスとか,なかなかないね。

買物よりも,どうせならペルシャ湾を見たい。というわけで,てくてく北へ向かう。

暑い。
日本の夏よりいくらか湿度が少ないので,汗ダラダラにはならないが,さすがに暑い。
ペルシャ湾を臨む海岸線に着いたが,ビーチではなかった。堤の上,ちょうど木陰ができているわずかな日陰に座り込む。海風が吹くと,ひんやり涼しい。とはいえ,日陰はどんどん動いてしまうし,じっとしてるとやはり暑いので,のんびりした気分も味わえず,30分で退散した。初日から欲張りすぎて,ばててはいけないと思い出したけれど,既に遅し。寝不足の上,炎天下を歩き回ったから,かなり体力消耗していた。同じように海を眺めている人たちがいた

デジカメに撮っておいたバス路線図と街中の地図とを見比べて,空港行きの401の路線の道まで戻り,バス停を探す。途中,文房具屋さんを発見,中をうろうろした。コーランがあったり,ほかの国のパスポートの表紙を模したパスポートケースがあったり,アラビア語の練習帳があったり,結構面白い。冷房も効いているので,つい長居した。

バスを待ちながら,バス停前のジュース屋でオレンジジュース(1ディナール=33円)を飲み始めたら,すぐに,Emiratesの文字の入ったピンクのバスが来たので,急いで飲み干して乗り込む。

途中,渋滞しつつ30分で空港へ到着。預けた荷物を取りに行ったら,列の前の人が遅くて,いらいら。
ふとチケット見ると,搭乗時刻が13:25とある。

えっ!?

13:50だとばかり思ってた。あと10分もないじゃーん!
荷物係を急かせて荷物受け取って,猛ダッシュする。もぉお,いつになったら,こういうドジをしなくなるんだろう,私って…。しかも,便名がEK911だって。不吉な感じ。Departureのロビーまでが,かなり長い。さらにGateまでもまだ長い。13:33にファイナルコールがかかり,今にもゲートが閉まるところを想像しては泣きそうな気分で,なりふりかまわず走った。13:40にようやく着くと,まだ搭乗中だった。ふひー。よかったぁ,遅れてて。つかれたよー。あせだくだよ。

せっかく走ったのに,機体が動き始めたのは30分後。お昼を食べ損ねたと思っていたが,機内食が出た。ビールとラムで,ご満悦。一転,地獄から天国の気分。

 

コラム:中東のインド

ドバイの町で立ち寄った文房具屋さんで,朝見た入国管理官の手の入墨模様が表紙になっている本を見つけた。入れ墨風のペイントが流行?
Mehandi(マヘンディー)とは、古来から薬草として使われてきた植物を指すインドでの呼び名で,別名ヘナともいう。
マヘンディーを使ったボディ・ペイントは,インドの宗教や慣習と強く結び付き,健康や幸運を願うおまじないとして現代に受け継がれている伝統文化である。

ところで,中東のドバイで,なぜインドの伝統文化を目にするのかというと,それはドバイの人口構成に関係がある。
ドバイは,古くより東西を結ぶ交易都市として栄え,物とともに人の流入も激しい。周辺のアラブ地域からはもとより,ユーラシア,アフリカ大陸から様々な人種が集まっている。ドバイの総人口のうち,『ローカル』と呼ばれる地元出身の人は4分の1しかいない。
外国人で一番多いのは,6割以上を占めるインド人・パキスタン人であり,国内の様々な職業に従事している。人口の半分以上を占めているインド系住民のために,ドバイは文化的にはインド圏といえるのだ。

 

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<このページの最終更新日:08/10/30 >