中東

世界最古の町

スピーカーから町じゅうに響くアザーン(礼拝の呼びかけ)の音で目覚める。5:00。このまま起きて,借りた本を読もうか一瞬迷うが,二度寝を選んだ。次に目覚めたのは7:00。すっきり。よく寝た。21:30から9時間半も熟睡。日本時間では,今14:00。さすがに起きるはずだよね。

朝食をとりに,食堂へ。4人がけテーブルが1つだけあいていたので,そこに座った。食堂のおっちゃんに,「サバーフルハイリ(おはよう)…」って言ったが,無視された。声が小さくて聞こえなかったのかも?というか,こっちを見てもいない。無愛想なだけかと思ったら,後から来た人には,自分から「モーニン」って言ってる。感じ悪ーい。
目の化粧の濃い(クレオパトラのような化粧)若い女がやってきて,これまた私をまるっきり見もせずに私の前の席に陣取った。私からオハヨウって言いかける隙もなし。ほかの知り合いと話して私の存在は無視。
そこへ,もう一人女の子が登場。席なくてウロウロしているし,私の前のクレオパトラと知り合いらしかったので,にっこり笑顔で横にずれてあげた。言葉がないのでしゃべれないと思ったのか,何語で返してよいのかわからなかったのか,やはり無言で,彼女はそこに座った。
なんだかちょっと違和感を感じる。別に他の客と仲良くなりたいというわけではないけれど,「おはよう」「ありがとう」は,基本的な挨拶じゃないの?目もあわせないってどういうことなんだろう?
他のヨーロッパの安宿でも,西洋人の中にアジア人が一人きりという状況は何度かあったけれど,こんなことあったかなあ?忘れちゃっただけなのかなあ?

席を譲った女の子とクレオパトラは,べらべらとおしゃべりを始めた。英仏でないことはわかるが,西でも独でもなさそう。もしかしてポルトガル語か?さらにそこへ,もやしのような若い男登場。ここに座っていい?と,他の二人に聞きつつ,クレオパトラの横にきた。彼は仏語圏出身らしく,私の左の女は,今度はクレオパトラそっちのけでモヤシ君と話し始めた。仏語がわからないで放置されたクレオパトラは,つまらなそうにしている。
2人で話さないで3人で話せばいいのに。あるいは放置せずにたまに話し掛けるとか,男にも女にもそういう配慮はないのか?ご飯終わって立ち去るときも,席を譲ってあげた私に会釈もせずにさっさと行ってしまった。意外にも,クレオパトラが私に「Bye」と一言言った。スークハミディーエ入口

食堂の向こうの談話室のテレビは,CNNニュースを流している。へえ,意外。シリア国内で大統領に批判的なことを言えばすぐさま秘密警察に連行されるなんて話があるほどなのに,外国からの,しかもお世辞にも仲がよいとは言えない米国のニュースをテレビで放送していることに驚いてしまう。

チェックアウトタイムが14時なので,荷物はそのままにして,スーク ハミディーエへ出かけた。スーク ハミディエは,ダマスカス一の市場だ。
ダマスカスは4000年の歴史を持ち,現存する世界最古の都市の一つである。最古の町には,聖書に書かれている世界がそのまま残されていたり,世界最古のモスクがあったり,世界遺産として登録されている旧市街(オールド ダマスカス)があったりする。そしてそれらは全て,スーク ハミディーエに隣接していて,この市場はダマスカスの最大の観光スポットとなっている。市場自体,中東では最大の規模を誇り,網の目のような無数の通りに無数の店が並び,非常に興味深い場所なのだ。

もう9時だというのに,店はまだ開店したばかりか準備中。左右からかかる「コンニチハー」(日本語)の声を無視してアーケードの真中をすたすた歩く。

ウマイヤドモスクに行き着いた。開門を待って並んでいる人々をスケッチしていると,カーキ色の制服の男の子たちがそろそろと近寄ってきて,手元を覗き込む。カーキ色は,学校の制服?軍隊ではないよね?

9:35開門。待っていた人々がわさわさと入っていく。外国人観光客用の門はまた別の所にあるらしいので,私はとりあえず近くのアゼム宮殿へ先に行くことにした。
ここは,民族衣装の説明と展示だけみたいなんだけど,それで150SPは高くない?もしかして道順間違えて見損なった部屋があったかな?街中には,ときどきこんな水場がある

宮殿を出た所に水場があり,人がかわるがわる水を汲んだり飲んだりしていた。私も列の後ろについたら,前の人が自分のコップに水をついで渡してくれた。こくこくと飲んで返す。「シュクラン(ありがとう)。」

新約聖書の『パウロの回心』の逸話で有名な『まっすぐな道』へ。東門まで歩く。途中,シリアの地図を見つけたので買った。英語表記だ。しかも2002年版で新しい。まっすぐな道
店の人に,「ここはまっすぐな道?」と英語で聞いたが通じないので,「バーブ シャルキー(東門)?」と言って東の方を指さすと,「そうだ,そっちがバーブ シャルキーだ」とうなずいた。

ずっと先まで見渡せるまぁぁっすぐな道を想像していたのだけれど,想像とはちょっと違った。この『まっすぐな道』沿いには,キリスト教の教会もある。

クラシックな車東門手前に,赤い中古のアメ リカ車発見。昔買ったものをまだ使ってるってだけなのか,クラシックカーとしてのお手入れはされていない模様。後ろの窓ガラスは既になく,テープが貼られている。右のガラスもヒビいりで,年季が入っている。

『パウロの改心』のパウロが迫害され,ここからダマスカスを抜け出したという東門をぐるっと周って眺め,ここでUターン。帰りは,Old Town旧市街を気ままにうろうろ歩いてみ た。

『まっすぐな道』を歩いていて目に付くのが,肉屋さん。包丁をダンダンと勢いよくまな板に叩きつけ,肉をミンチにしている。ミンチってそうやって作るの!? つい肉屋さんを見かけると覗き込んでしまう。別の肉屋では,ハンドルをゴリゴリと回してミンチを作ってるのが面白くて,ガラス越しに見ていたら,「入りな」って言ってくれた。はかりに天秤を使ってる。なんだか懐かしい。ミンチ機も天秤も,そういえば,子供の頃にお肉屋さんで見た光景だ。

肉屋店先

肉屋のおっちゃん2人とお友達(左)

狭い店の中に,大きな肉の塊が天井からぶらさがり,あとは作業台とミンチ機と。割とシンプル。
言葉のコミュニケーションはとれないが,お互いそんなことは気にせず。私が肉を買いに来たお客でないことは歴然としているし,ただ親切から,物珍しげにしている私に店の中を見せてくれているだけだというのはわかっている。「どこから来たの?いつ来たの?ダマスカスはどう?」なんて質問 も一切せず(言葉が通じないからかもしれないけど),お茶をふるまってくれ,あとは静かに仕事を続けていた肉屋さん。
お茶だけでなく,小さなイチジクももらった。甘くておいしかった。
「写真を撮る?」と聞 かれたので,遠慮なくまずデジカメで撮影。それから,二人をポラロイドで撮って渡すと,「おぉーっ」と驚いて喜んでくれた。お茶を飲んでる間に,お客さんも何人か来る。注文を受けて渡しているのか,あらかじめ頼んでいたのかはわらかない。「ブタコマ200gね」なんて言ってるのだろうか(イスラム教徒は,豚は食べないだろうけど)。迷い路
30分ほどくつろがせてもらって,肉屋さんを出発した。

裏道に入ってみた。Old townは迷路のよう。このくねくねに比べれば,表の道が『まっすぐな道』と形容されるのも頷ける。狭い路地を車が通る
くねくね迷路は面白い。車幅ぎりぎりの狭いところを車が通り抜けていく。壁や扉の模様は,黒白のコントラストが基調らしい。

パン屋さんをチラッと見ると,おじさんが「寄ってけ」と手招きをする。おじさんとその息子二人?もしかして弟子?中学生のように若い。かわいい。パン屋で修行中
おじさんは,パンを一つとって「食べてみろ」とこちらによこす。「お代はいいよ,あげるよ。」(って多分言ったと思う)ありがとう,おじさん。さっそくここでも,ポラロイドで写真撮影。3人を写したつもりが,なぜかおじさんだけはみ出ちゃって,「なんだよおい」って怒られた。ごめん,わざとじゃないんだよ,ほんとだよ。パンの親方
じゃあ二人で写ろうじゃないか,とおじさんはカメラを弟子に渡した。仕事している姿を撮ろうとして私がカメラを向けると,なかなかこちらに顔を向けず,ことさら仕事熱心さをアピールしていた硬派なのに,女性と並んで写真と言われるとニコニコしている,かわいいお父さんだ。もらったパンはおいしかった。イキな職人さんという印象を受けた。

軒先の小鳥

なぜか店の軒先に鳥かごを吊るしている店が多い。鉱山でもないのに,なんの意味があるの?

じゅうたん屋の店先

きれいな刺繍の織物やじゅうたんが並べられている。

店の前には椅子とお茶セット

お茶を飲みながら,店の前の人々をのんびり眺めている人が多い。ヒマ?

ホテルへ戻る道すがら,スーク ハミディエの隣の市場を通ってみた。ここは観光客用というより庶民の台所という感じで,生鮮食料品が店頭に並んでいる。頭,腸,肉,足,とバラバラになった羊が 一頭分丸々飾られていて,思わず見入ってしまう。余すところなく,といった感じ。KENWOODのビルが目印

どこまでいっても市場が途切れない。あれ?道に迷ったかな?

白い手袋をして交通整理していたカーキ色の制服のおまわりさんに,「ヒジャーズ駅はどこ?」と聞くと,てっぺんにKENWOODの看板を掲げた高いビルを指して,「あの下あたりがヒジャーズ駅だからあれを目指して行きなさい」と教えてくれた。「ここからだと,そこを曲がってまっすぐだよ。」「ありがとー!」
ここで道に迷ったのが,後々とても役立った。KENWOODのビルが目印と覚えていたことで。おまわりさんに感謝!

 

コラム:ファティマの手

Old townを歩くと,左の写真のようなノッカーに女性の手を使った扉が多く見られた。このドアノッカーは『ファティマの手』と呼ばれている。
ファティマは預言者ムハンマドの娘で,ファティマ王朝第4代カリフの妻であり,献身的な女性として庶民から慕われた。
聖女ファティマの手は,災いや病魔を防ぐ護符としてのシンボル性を持ち,扉のノッカーのほかに,扉内側の飾りやアクセサリーなどにも用いられている。

『不浄の手』である左手でありながら,聖女ファティマの手は,災いを防ぐありがたいものと信じられているというのも,また不思議。

 

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<このページの最終更新日:08/10/30 >