中東

ハッサケ

お昼も食べずに,13:00すぎにパルミラを出発した。街のはずれで売店を見つけたので水を買おうとしたが,売っていない。代わりにオレンジジュースを買った。その後昼食を食べる機会がなく,これが本日のお昼となる。

そうこうするうちガソリンがまた少なくなってきた。今日は金曜日,イスラム教の安息日。もしかして休業?とちょっと不安になったが,デリゾール手前でガソリンスタンドを見つけてホッとする。
隣で給油中のバスの乗客と思われる現地人が,流暢な英語で話しかけてくる。「パルミラに行くの?」「ううん,デリゾールへ。」と言うと,またガイドはいらんかね攻撃にあう。どうして皆そんな簡単に人の旅路に同行できるんだろう?今の仕事は放っておいていいわけ?私はガイドなんか必要としてない,ボディガードもいらない,一人にしてくれぇぇぇ!
ガイドを申し出るのは,お金稼ぎ?それとも好奇心から?単に暇なだけ?旅行好き?親切心から?

パルミラでやたらはしゃいで観光していた親子。どこから来たの?

「どこから来た?」と言って近づいてくる人には,今度から「none of your business(あんたにゃ関係ない)」と言いたいが,たぶんその人のビジネスに大いに関係あるんだよね。

今夜の宿泊地をユーフラテス川沿いの町デリゾールと決めていた。歴史の教科書に出てきたメソポタミア文明の地,チグリス・ユーフラテス川のユーフラテスだ。乾いた砂漠を通り抜けてきた身には水が恋しいし,大河にかかる吊り橋から夕陽を見るのがこの町の一大イベントらしいのだ。古代文明の栄えた場所で夕陽をのんびり眺めるなんて,なんともロマンチックではないか。

デリゾール橋を見つけた。車を止める時に子供が数名,後ろから歩いて来たのに気づいた。通り過ぎるかと思ったら立ち止まる。あまり見かけない東洋人が物珍しいのかな?と思ったら,頭一つ分背の高い子がナイフを見せて笑顔で「money(お金)」と言う。
刃を向けたわけではなくちらっと見せてすぐしまったので,これを生業にしている様子ではなかった。怖くはなかったが,ひどく腹が立った。ムッとして何も言わず,ただ睨みつけた。
この子達はどこでユスリのマネなんて覚えたんだろう?やってみたらたまたま成功したので味をしめた,そんなところだろう。

デリゾールには叙情的な雰囲気を期待して来ただけに,それが裏切られた思いでショックだった。勝手に期待するのが悪いのかもしれないけれど。もう夕陽を眺めるどころではない。一刻も早くこの街を出たい。一応,橋の上からの夕陽だけは見たけれど,ロマンチックに浸ることもなくすぐに車に戻った。ああ神様,次のハッサケの町はどうか安らげる町でありますように。
デリゾールの町のはずれを通ったら,ちょっとすさんだ印象を受けた。最近,国一番の豪華チェーンホテル,シャームパレスも建設されたらしい。それだけ観光客が増えてきたということだ。デリゾール橋は一躍有名になって,外国人観光客がわさわさ押し寄せ,叙情的な雰囲気に酔って地元の純情な子供たちにお金を与える名所となったのだろうか?その外国人にお金をたかる人間が出てくるのも当然といえば当然なんだろうけど。

アドビスタイルの家
ユーフラテス川のほとり,砂漠の果てるオアシス,美しい町と思ったのは幻想か。

ユーフラテス川を越え,さらに北へ向かう。車道脇にはポツポツとテントが立っている。ベドウィンの家だろうか?羊を追う少年がいる。
そのうちテントがレンガの家に変わってきた。米国西部サンタフェSanta Feのアドビ(土煉瓦)の家によく似ている。米国と中東では地理上ものすごく離れているのに,気候が共通して乾燥した砂漠であるという理由で家も同じつくりになるのだろうか?まさかアメリカインディアンとこの辺の人間とが民族的なつながりがあったわけではないだろうから。

町の広場。元時計台
町の広場。元時計台

東はイラクに50km,北はトルコに50kmという,国境近い町ハッサケに近づくにつれ,シリア国旗と黒緑白赤のアラブの旗を二つ並べた看板やサングラスをかけた男二人が並んだ肖像画がたくさん出てくるようになった。二人のうちの一人はシリアの現アサド大統領だろうが,もう一人は誰なんだろう?イラクのフセイン大統領に見えなくもない。

夕闇に包まれる頃にようやくハッサケに到着した。探していたホテルは偶然にも一時的に車を停めた所からすぐだった。ラッキー。目印にしようとしていた時計台は,肝心の時計が既になくて,丸い穴があいているだけだった。これでは時計台とはわからない。

ホテルの入口。暗くてちょっと恐い
 しかし,町一番のホテルにしちゃあちょっとおそまつ。シャワーもあって冷蔵庫もテレビもあれば十分ではあるけれど。

一休みしてちょっと街に出てみたら,周囲からものすごい注目を浴びる。皆の視線を集めている。人の顔をわざわざ見直して目を見開いて驚いた顔を隠しもししない。遠慮もない。そんなにモンゴロイドが珍しいのか!?トルコに近いからいろいろな人種が通るだろうに。なんだか緊張する。


ハッサケのお菓子やさん

パン屋さんを見つけて入ってみた。生クリームとスポンジの普通のケーキも売っている。おいしそう。でも,夕食に食べるわけにはいかない。残念。試しにクッキーを何枚か買ってみた。売り子の若い女性は私にサービスしたいみたいだったが,その上司らしき若い男の監視下ではそうもできないようだった。外には椅子を並べておじさんたちがくつろいでいる。


アラビア文字だけの看板

この店と何か関わりがあるのか,どの店だろうが関わりなく椅子に座っておしゃべりするのが習慣なのか,よくわからない。

この町が他とちょっと違うと思うのは,今では見慣れてしまったあの白くて長い男性のワンピース姿を滅多に見かけないせいかもしれない。シャツにズボンスタイルが一般的だ。女性も黒く長いチャドルで体を覆っている人は見ない。顔を晒し,パンツ スタイルで闊歩する人もいる。クルド人の民族衣装は特殊なのだろうか?クルド人も同じイスラム教徒なのに?宗派が違う?シリアにあってちょっと異色な町だ。

昼を抜いたわりに夕食はそれほどお腹もすいていなかったので,ミルクスタンドみたいな店でシュワルマとオレンジジュースを買い,ホテルの部屋でそれを頂いて夕食とした。

 

コラム:クルド人問題

クルド人は国家を持たない世界最大の民族である。イスラム教を信じ、クルド語を話す。
クルド人は,もとはオスマン・トルコのクルディスタン(クルド人の土地の意味)と呼ばれる地域に住んでいた。オスマン・トルコが第一次世界大戦で同盟国側についたため,戦後,中東の国々の民族や宗派は戦勝国のイギリスやフランスの都合でばらばらに分断されてしまった。クルド人居住地区は,現在のトルコ,イラン,イラク,シリア,アルメニアに分断された。クルド人の総人口は2000-3000万人と言われ民族としては大きいが,各国では少数民族として扱われ,中央政府からは冷遇されている。

少数派となったクルド人が各国で繰り広げた独立運動は,中央政府からは弾圧され,周辺各国からは利用された。例えばイラン・イラク戦争や湾岸戦争の時には,クルド人による反政府活動が対立国家から支援されたのである。

クルド人居住区には原油生産地やチグリス・ユーフラテス川の水源など資源的に重要な地域が含まれる。このことも,支配権をめぐる対立を引き起こしてクルド人国家の建設を困難にしている一因となっている。

 

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<このページの最終更新日:08/10/30 >