中東

ハマへ

ユーフラテス川近くの綿畑

5:00ぴったりにアザーンが流れてきた。おかげで早起きできた。
8:00から30分ほど町をうろうろ。どこを歩いても,注目を集めてしまう。


ホテルの部屋から見たハッサケの朝
.徒歩や自転車で通勤通学する人々

集合住宅らしき建物の屋上に飾られたアサド大統領の肖像と国旗.25の数字は何を意味する?

通りすがりのきびきび歩いていた若い女性に,スーク(市場)はどこ?とアラビア語で聞いたつもりが,通じない。スークのウゥはもっと強く発音しないとダメらしい。「ああ,スウゥクのことね,この辺よ」と,周りを指差した。あ,もう市場の中にいたのね。

自転車にシャベルを載せて何かを待っている様子の男たち。どこかの作業場にでも出発する前だろうか?道路の反対側から写真を撮っていたら,俺も撮れといって数人がこちらに向かって胸を張った。靴屋さん,3輪車に乗った若者,私がカメラらしきものを手にしているのに気づくと,皆写真に写りたがった。写したよと合図すると,寄ってきて話をするでもなく,遠くで微笑んでいる。自然で親しみのもてる素敵な笑顔だ。

この町では,ポラロイドカメラは使わなかった。昨日のデリゾール事件のショックで,人と親しく話す気分にはなれなかったし,こんなに視線を集めている中で写真渡したりなんてしたら,人だかりがして動けなくなってしまうかもしれない。

8:30出発。一旦町の入り口の方まで戻ったが,北へ向かう道が見つからない。町の入口でたむろしていた軍人さん?おまわりさん?に聞いたが,地図の見方と英語がわからないらしく,地図をぐるぐる回して困っている様子。ラッカへ行きたいというと,他の人たちが「ラッカはあっちだ」と,今来たほうを指差した。あ,やっぱり?「シュクラン(ありがとう)!」ロータリーからCenter cityへ行く道の隣道へ入り,方角を確かめつつ進む。英語の表記が何もないので勘と磁石と地図だけが頼り。方向的にはOKみたい。でもなかなか分岐点が出てこなくて不安になる。どーしよう,この道じゃないのかな。このままトルコに行っちゃうかも。…と思ったら,ようやく左右(東西)に走る大きな道が出てきた。これに違いない。ホッ。
大きな道。06アレッポまでxxkmとある。よし,これだ。


06号線をアレッポへ.
綿袋を山と積んだトラックを乗用車が追い越していく.
積載量ゼッタイ越えてるよ

途中,追い越しそうでなかなか抜いていかないワンボックスカーのセルビス(乗合タクシー)あり。客もなくて暇だったのだろう,わざといやがらせをしている。面倒なので,スピードを落として先にいかせた。が,遅い車に引っかかってるところ追いついてしまい,後ろからきたセルビスと一緒にその車を抜かして行ったら,今度は高速でついてくる。先に行かせようとすると,横に並んでくねくね走りをしてみせ,前に来てスローダウン。ヒマだし,女ドライバをからかってやれ,イヒヒ。とか思っているのだろう。
からかうのに飽きたのか,営業の地域を越えてしまったからか,どこかの町の入口で,急ハンドル切って曲がっていった。

今回,このイスラム教の国で女一人のドライブっていうのは,結構無謀なことだったかもしれない。大都会のダマスカスでさえ,ブルカ(ベール)やコートなしの女性はあまり見かけなかった。普通はうちにいるもの?ましてや車の運転など言語道断?シリアに入国して4日目,自分以外では女性ドライバを未だ見ていない。
でも,女が一人で車を運転している!と驚いてもらうことも,他の世界に触れる意味で,この国にとっていいことなんじゃないだろうか,などと自分勝手に考えたりする。それとも,異教徒の女ははしたないと思われているのだろうか?
日本でも数十年前は女性ドライバの割合は少なかったし,女性タクシードライバーやバスの運転手なんて今でも珍しい。


羊が横切る

ラッカ入り口手前に綿の集積所があり,積載量オーバーのトラックが山といた。ラッカは何か雑然とした町。この町を見ていると,シリアという国 は豊かには見えないが,それでもすっきりきれいな場所もある。雰囲気が町によって違うのも面白い。

次の目的地カラジャバールの標識はなかなか出てこなかった。道は 正しいはずなのに,あるはずの別れ道が一向に見えてこない。36km地点にあると見越して45kmまで我慢したが,ないのであきらめて,Uターンする場所を探していた。すると,あ,あそこに看板が!


カラジャバールまで12km

最後の望みをかけていくと,『カラジャバールまで12km』。よかった。でも,えっ?右折なの? 地図を見て左だとばかり思ってた。
右折してしばらくすると左手に湖が見えてきた。確かにこっちだ。くねくね道に入ってから,再び湖が見え始めた。湖畔の緑もきれい。そして左に緩やかにカーブしている道を行くとぽっかりと湖の上に城が現れた。

私が到着するまで客は誰もいなかったらしく,門番が開門してくれた。入場料150SPに200SP札を出したら,お釣りがないと言う。ありったけの小銭をかき集めたら,ちょうどぴったり150SPになった。

城のてっぺんには塔があり,ここから城壁の端まで,トロッコのレールのようなものが敷かれている。レールは城壁で断ち切られて今は使われていない様子。一体何に使ったのだろう?ライトアップ用の照明も設置されていたが,やはり壊れて今は使われていないようだった。

お城からの湖の眺めはとてもよい。すごーい,これホントに湖?海みたーい。

他に客もいないなら儲からないだろうから,少し貢献するつもりで売店 のジュースを買おうとすると,ここでもやっぱりお釣りがないと言う。おかしいなあ。それじゃ商売になんないじゃん。

ラッカまで戻ってアレッポへ向かう。ラッカのGS(ガソリンスタンド)で給油したいところだったが,トラックの運ちゃんらしきたくましそうな男性ばかりがうじゃうじゃといて近寄りがたく,もう少し町から離れた静かな場所まで待とうと通り過ぎた。こういう時って,大抵 ,後から後悔するもので,案の定,次の給油所がなかなか見つからずにあせりまくった。デリゾール〜アレッポ間なんて幹線道路だし,すぐ見つかると思ったのだ。でも,探すとなると見つからないNo.1なんだよね,ガソリンスタンドって。ガソリンの看板を見つけて,あった!とほっとすると開業前の無人だったり,次のはさびれて今はやってないとおじさんが手を横に振ったり。この車は,運転席からの集中ドアロックなんて機能はないし,もちろん窓は手動だし,パワステでもない。当然,ガソリンタンクのエンプティランプなんていうのもない。いつもなら,エンプティランプがついてから大体このくらいは走るだろうと推測できるけど,今回は,メーターの針がエンプティのEを指してから大分経ったことは分かっていてもあと何kmもつのかは全く検討がつかない。いつ,ぷすんぷすんと燃料切れで車が止まってしまうのかと気が気ではない。えーん,もうわがまま言いません,今度から入れるべき所で場所を選ばず入れますからぁ,と神様に泣きを入れる。願いが聞き届けられ たのか,ガソリンメーターがこれ以上下がれないってとこまでさがったところでちゃんとしたGSが見つかり,胸をなでおろした。

アレッポ石鹸で有名なアレッポは,首都ダマスカスに次ぐ国内第2の都市だ。覚悟していたものの,やはり大きな町で,一本道が町の中心地にまで連れて行ってくれるという単純なものではない。ランドマークになりそうなアレッポ城さえ,どこにあるのかわからない。こりゃはまってしまうなと思い, 先も急ぐので,あきらめてUターンした。ロータリーの混雑がものすごい。サークルを5重6重にもなって車が回っている。少しでも鼻先を出したが勝ち,という状況で,現地の敏腕タクシードライバがひしめき合う中,外国人ドライバは汗だくだ。この困難なロータリーをぬけだした後も,女と見てわざと車を寄せて危険走行するタクシーが2台あった。アメリカでよく憤慨させられたニューヨークのYellow Cabより上手で強引で失礼な輩だ。


川沿いには畑が見えてきた

建物が新築されていく町

水を含んだ赤茶色がみずみずしい

ここまで西走してきたが,アレッポからは南へ向かう。道路脇の風景が少しずつ変わってくる。途中,見えたイカルダICARDAという大きな文字は何だろう?すごくきれい。ねぼけた砂色の砂漠を見慣れた目には,湿り気のある大地の赤茶色と,みずみずしい緑とのビビッドな配色が非常に鮮烈で,目の醒める思いがした。水があるって素晴らしいと改めて実感。感動。
後で調べてみると,ICARDAとは The International Center for Agricultural Research in the Dry Areas(国際乾燥地農業研究センター)の略で国際機関の一つ。日本からもプロジェクトへの研究者の参加,財政支援,機器の供与などによってICARDAへの援助を行っているらしい。


ホテルの部屋から巨大水車が見えた

一気にハマへ。今度はすんなり目的のCharm Palace Hotelを見つけられた。部屋に入って,「づ・が・れ・だー」とベッドに倒れこむ。朝から晩まで走り通しだもの。
だが,体に鞭打って起きあがり,町の探索に出かけた。

ハマは水車で有名な町。一番大きい水車を目指して行ったつもりが,どうも違うみたい?あれえ?とうろうろしていると,お茶を手にして呼ぶ人あり,なぜか警戒心がたって,いえ結構ですと立ち去る。そこへ子供連れのおじさんが話しかけてくる。写真を撮らせたいのか?何か目的があるのか?つい身構えてしまうが,普通のお父さんだったみたい。もしかして,お茶を飲ませてお金を取ろうとした人からさりげなく救ってくれたのか?かわいい子供達をポラロイドで撮って写真を渡し,バイバイした。


君達もハマッ子?

ハマの道は一方通行が多く,思うようにホテルへの道に戻れない。ぐるぐると遠回りをしてまた疲れてしまった。車はだめだ,やっぱり歩こう。ホテルの駐車場に一旦戻る。
てくてく。モスク近くでヒゲおやじ(シリアじゃ誰もがヒゲおやじなんだけど)が英語で話しかけてきた。「Hama is good? 」「ええ,ま。」「どこからきた?」ピン!危険察知アンテナが立つ。あやしい。こいつはあやしい。答えず,「じゃあねー」とすたすた歩くが,同じ方へ歩いてくる。通りの向こうへ避難して先に行かせたつもりが,歩き始めるとまたいる。ますます怪しい。明らかに私をつけているのだ。店を見る振りをして立ち止まり,しばらく座ってやり過ごす。まったくしつこい。

水車の前のレストランに行って「ビールある?」と聞くと「yes」と答えるので入ると,メニューのビールにはwithout alcoholとある。ノンアルコールビールじゃしょうがない,あきらめて出る。さっき車でうろうろした時に見た時計塔がきれいだったな,どこだっけ,としばらく歩いて探したが見つからない。スークがあったので入ってみた。ダマスカスより道の幅が狭くて,その分,左右の店がよく見えてよい。スークの中はものすごい混雑。人にぶつからずには歩けないほど。特に女性がたくさんいる。殆どが黒マントや長いコートを着ていて,肌をさらしている人は全くいない。でもなんだか皆生き生きしているように見える。やはりどこでも,買い物の時の女性の顔つきは同じなんだな。

何か買おうと思って隅々まで市場を見てまわるが,特に欲しいものも見つからず。今買っても荷物になるしなぁ。

結構歩き回ったのでくたくたになってホテルへ戻った。ビールの飲めそうな店が外では見つからなかった。遅い時間だからか,宿泊客がいないからか,ホテルのレストランは閑散としている。


夜になるとあちこちに緑の光が.
これは皆モスク.

ビールを頼むと,デンマークのTuborgが出てきた。フランス語メニューがよくわからなかったので適当に頼んだら,出てきたのはラムチョップ。うまー。フライドポテトまでおいしい。油があっさり。さめても美味。一人で寂しかったが,そのうち手に手にビールジョッキを持った(ドイツ人?)団体がわさわさやってきて,賑やかになった。というか,うるさい。ワインのコルクをスポスポ抜く音も聞こえてくる。きー,くやしぃ。やっぱり羊肉には赤ワインよねぇ。一人で一本飲みきる自信なし,ワインはあきらめ。

 

コラム:水車

ハマは,東西に流れるオロンテス川を中心とした緑豊かな美しい町である。紀元前からイスラエルとの交易で栄えてきた。現在はシリア第4の都市。

20年前の『ハマ事件』で知られる内戦の舞台となった悲劇の場所でもある。
1982年,イスラム同胞団が当時のアサド政権との対立から大規模な暴動を起こしたため,政府軍による爆撃で一般市民をも含む数万の人々が犠牲になったという。

現在,町はその頃の傷跡もみられず,ゆったりした川の流れと川に架かる巨大水車がギギーときしむ平和な風景を供し,旅人の心をなごませている。

茅葺屋根の小屋に水車が回っているようなのどかな農村風景は,いかにも日本昔話に出てきそうで,水車には日本的風景のイメージがある(たとえば,葛飾北斎の有名な『富嶽三十六景』にも『穏田の水車』という浮世絵がある)が,水車が初めて作られたのは紀元前のローマ時代であり,日本にはアジア大陸を経て6-7世紀頃伝えられた。

水車の用途は,川より高い場所にある田畑に水を汲み上げる揚水用と水力を利用して穀物の製粉などに用いる動力用との二種類に分かれる。

ハマの水車は,揚水用である。13世紀のビザンチン帝国時代に作られた17機の木造の水車が現存し,修復を施されながら現役で活躍している。最大のものは直径20m以上もあり,ギネスブックには世界最大の現役水車として紹介されている。

<参考>
三鷹市/みたか水車博物館
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/suisya/

 

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<このページの最終更新日:08/10/30 >