成田からロサンゼルス、アトランタと乗り継いで、アルゼンチンのエセイサEZE空港へは9月9日日曜日
10:30に到着した。覚悟していたものの、やはり長い道のりだった。成田を出発したのが8日の18:00頃だから、29時間かかったことになる。
どのフライトも、席はそこそこ埋まっていたので、2席占めて横になることもできなかった。唯一すいていたLAX-ATL間では、隣のお姉さんが私の手を離してくれなかった。 |
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![]() エセイサ国際空港 |
そんなこんなで、長い道中あまり眠れなかったけれど、思ったよりも、元気。夜に到着するのと朝に到着するのでは、やはり気分も違うのだろう。お天気もよいので、気分もすっきり。南半球なので、今はまだ春先なのだけれど、さわやかな雰囲気。 | |
国内最大の国際空港ではあるが、ターミナルはAとBのみで規模はさほど大きくはない。国土面積が日本の7.5倍もある国でこの規模はちょっと拍子抜け、でも考えてみれば人口は3分の1なのだから、当然といえば当然だ。 | ||
レンタカー事務所を探すが見当たらない。空港で必ずといっていいほど見かけるRent a Carの文字がない。 あった。人が二人も入れば満杯のちんまりした屋外事務所。HertzとAvisのみ。保険込み、距離制限なし、一番小さな車で7日間$390。今まで乗ったことのないHyundai製。左ハンドルのマニュアル車。 |
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![]() 市場で売られていたマテ茶の入れ物 |
ブエノスアイレスは大都会。道は碁盤の目だけど一方通行が多く、交通量も多く、周囲の車のマナーもいいとはいいがたいので、かなり走りにくい。 |
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何度もUターンして、迷いつつ、なんとかドレーゴ広場周辺に到着。
広場には50くらいの出店が軒を連ね、陶器や金属の置物、アクセサリ、古紙や服などを売っている。人にぶつからないで歩くのが大変なほどの賑わいだ。全身白や銀色に塗り上げて動かないストリートパフォーマーもいる。 |
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![]() 青空の下踊っていたタンゴ |
タンゴを踊っている一角は、特に人だかりがすごかった。陽射しの強い中を激しく踊るので汗をかいているようだったが、口をキッと結び目つき鋭く、足さばきもきまってる。きりりと顔つきも立ち姿も美しいダンサー達だった。 | |
この広場を見下ろすテラスのあるレストランに入った。観光客で大賑わいの店で、扉にはJCBのシールもあり。チョリソーとピザとビールを頼んだが、料理はどれもしょっぱく、冷えてくると余りおいしくない。
チョリソーの上はコーヒーではなく、香辛料のソース |
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マルコ・ロッシはブエノスアイレスから一旦、南の町バイアブランカへ向かったが、ブエノスアイレスへとんぼ返りし、船に乗ってラ・プラタ川を遡り、ロサリオへ向かった。我々も、ごみごみした都会はさっさと通り抜け、次の目的地ロサリオへ急ごう。
ロサリオは確か、ブエノスアイレスの北西だから、こっちだろう、と適当に車を向ける。高速道路に乗ると、意外と道は複雑で、どうも太陽の方向からして間違った方へ来ているような気がする。途中で高速を降りてガソリンスタンドへ寄るが、売店に地図はない。手持ちのガイドブックの地図は、大都市の丸とそれを結ぶ線のみのごく大雑把なもの。これを元にブエノスアイレスから1000km以上も離れたツクマンへ行くのは無謀というものだろう。そもそも、Bs.As.(ブエノスアイレスの略)を抜け出る道がわからない。 ガソリンスタンドで働いていた若いお兄さんに地図を見せ、今いるところはどこ?と聞いても、通じない。じゃあ、サン・イシドロSan Isidroはこっち?と聞くと、Si(そうだ)。あちゃー、やっぱり逆方向だ。しかもここまでの高速道路、逆方向への道路はずうっと渋滞してたよ。あれを戻るのか、やれやれ。 |
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…と思っても、本屋らしき店もスーパーも見つからない。あ!WAL MART発見。米国の大手スーパーだ、あそこになら地図はあるだろう。次の出口で出てUターンしようとしたが、これがそうすんなりとはいかなかった。降りたのが、公園の脇の道路。ここで何か催し物でもあるのか?と思うほどに大混雑の休日の公園。別に特別なイベントなどなさそうなのに、やたら人はいるわ、車は渋滞してるわ、抜け出すのが一苦労だった。 |
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ようやくスーパーにたどり着き、地図を探すが、ない。「マパデアルヘンティナ(Mapa
de Argentina:アルゼンチンの地図)?」と片言のスペイン語で店員にきくと、ああ、あそこに、と連れて行ってくれた。指差したのは、一枚の小さな白地図。ガイドブックの地図より小さい。これじゃお話にならない。ああ、空港で地図を探しておかなかったのは大きな間違いだった。
地図なしでどうにかこうにか道路を走り、こっちかな?と適当に走らせているうちに、『Rosario』の文字が見えてきた。よし、これに沿って走ればもう大丈夫。 |
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![]() パプリカ(赤ピーマン)長さ20cmほど |
途中、サービスエリアに寄ってみるのだが、ことごとく地図はない。どうしたことか!? 迷子、渋滞で時間を取られ、ブエノスアイレスを出る頃は夕闇が迫っていた。都会は宿泊費が少々高いといっても、最初の晩は無理せずここで留まればよかったのだ。成田からロサンゼルス、アトランタと休みなく乗り継いできて、体も疲れているのだし。でも、もう大都会でうろうろするのはうんざりしていた。すこし郊外に出た方が簡単にホテルも見つけられると思ったのだ。甘かった…。 |
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車は北西に向かい、順調に走っていた。日もとっぷり暮れて、周りは真っ暗。大都会を離れると、街灯もない。なかなかホテルは見つからない。遠くに見えるネオン、あれはホテルっぽいぞ、よし行ってみようと近づいたところ、入口に、2時間いくら、なんて料金表がある。え?2時間?てことは、まさか?…そろそろと先へ進むとゲートが閉まっており、その前で停まると横からギギーと棒が延びてきた。ここにお金を払えってこと?もうゼッタイ怪しい。じりじり後ずさりするかのようにバックして、Uターン。こんなことを3回くらいくり返した。高速道路沿いに見えるネオンは、ラブホテルと見てまず間違いない、と確信できるようになってきた。どうしよう。ロサリオまで行くしかないのか。ブエノスアイレスから300kmもあるというのに。 うーん、もうラブホテルでもしょうがないか、疲れてきたし。野宿して襲われる方が危険だ。トランクにはちゃんと、Deltaで(こっそり)頂いてきた保温性携帯性バッチリのひざかけがつんである。いざという時用に持ってはいたけれど、まさかこんなしょっぱなから役立つ事態になろうとは。とほほ。 |
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寒くなってきた。でも、暖房を入れると眠くなるので、寒いまま進む。初日からちょっとハードな道行きになってしまった。ホテルやーい。 眠いところを無理に走ることだけは避けよう。我慢できなくなったところですぐに道端に停めて、休みつつ進んだ。なにしろ初日だから、何が危険でどこまでが大丈夫なのかわからない。こんな風に真っ暗な道路の道端に停まっていても、大丈夫なもんだろうか?かといって、サービスエリアの煌々とした光の下、女二人がいるとはっきりわかる所で寝ているのも、もっと危ないような気もする。数十分ずつ休憩しながら進むしかないだろう。 |
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そんな風にちょっとずつ進んでいるうち、とうとうロサリオについた。地図もないので、どの辺りが中心なのかわからない。ひたすらまっすぐ走っているうちに、どうも中心地を抜けてしまったようだ。Uターンするときに見えた、HOTELの文字。でもそこはさっきのラブホテルよりもさらに危険そうな地域だった。まさにちょうどそのブロックからゴーストタウンのように荒んでいるのだもの。 助手席の相棒は、暗くなると何もすることがないので眠気に襲われ、ずっと寝入っている。運転するのが好きな私には、じっと助手席で座っている方が退屈で苦痛。眠気と戦うのは、運転に気をとられているドライバより、ずっと大変だろう。ロサリオで目を覚ましたので、ホテルを探して、とお願いしたが、またいつのまにか眠ってしまった。しょうがないな。もうロサリオでのホテル探しはあきらめて、次へ進もう。幸い、時差の関係で私は目が醒めてきた。 更に西へ、コルドバCordobaへ。そう決心したのは、夜中の12時過ぎ。こんな時間でも、人々はぞろぞろと連れ立って町を歩いている。子供連れさえいる。12時前に通ったディスコの前には、長蛇の列ができていた。こちらのディスコは夜中の12時に開店するらしい。でも、今日は日曜日の夜だよ?明日月曜日だよ?仕事ないの?いつ眠るの? |
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コラム:営業時間 |
店の営業時間は、9:30-12:00 16:00-20:00という感じだった。ラテンの国だから、お昼はもちろんシエスタ時間が長い。そして、夕食タイムは20:00以降。24:00頃食べ終わってその後ディスコにいって朝まで踊る。あれ?いつ眠るんだ?昼に休養をとると元気の回復度がかなりいいって日本のテレビ番組でもやっていたね、確かに。眠いところ無理して頭働かせるのは、体のしくみに反して非効率的。日本にも是非お昼寝タイムを! |
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<このページの最終更新日:02/09/22 >