アルゼンチン

タッチ&ターン


みかん(?)がなっている
旅の目的地、サン・ミゲル・デ・ツクマンSan Miguel de Tucumanへは、昼過ぎに到着した。大きな町だ。目的地であった割に、行き先は特にない。時間があればあれこれ見て回りたいところだけれど、帰りの便のことも気がかりだし、すぐにもブエノスアイレスに戻らなければならない。休憩ついでに昼食を取り、町を一回りしてからすぐにも南へ折り返すことにした。まさに、『ダルマさんが転んだ』でタッチしてすぐに逃げる様だ。
町は碁盤の目で分かりやすい。7月9日公園というのが町の東にある。7月9日というのは、この国の独立記念日なので、国内各地にこの日の名前のついた通りがある。

その独立を宣言した場所がこのツクマンの町。各州から代表が集まった。昔から栄えた町なのだ。商店がずらーっと並ぶ賑やかな通りが何本もある。

立派な建物。なんだったっけ?

 

料金所の脇に、かわいらしい小屋があった。informacion turistica(ツーリストインフォメーション)だ。ツクマンはもちろん、周囲の町やレクリエーション施設、ホテルの案内などしている。

復路は往路とは違う道で南下した。ツクマンの町のあるツクマン州は高速道路料金を徴収している。料金は乗用車で$1.70(約200円)。どのくらの距離だったかな?数十kmのことだと思う。
確かに往路のでこぼこ道よりはきれいな道だけれど。

 

州境には、検問所が設けられている。ツクマン州の警備官は厳しい顔つきでニコリともせず、恐かった。
まーっすぐな道。ずっと一直線の変わらない景色で飽きてくる。路肩に止めて写真を撮ったりしていると、通り過ぎていく長距離トラックの運転手たちが、陽気に声をかけていく。トラックの運ちゃんはどこの国も皆同じだ。

マルコはこんな道をずーっと歩いたのね。ブエノスアイレスからツクマンまでは1300km。車だって大変だよ。

サンチャゴ・デル・エステロ Santiago del Esteroでちょっと道に迷ったのもあって、思うように進まず、今日はフェルナンデス Fernandez どまり。米国行の飛行機のスケジュールがテロの影響を受けているであろうことを考えると、なるべく早くブエノスアイレスに入りたいが、無理は禁物。
町の入口、かわいげなお城風の門が出迎えてくれる。
小さな町だけれど、賑やかな所だ。うろうろしていると、町の裏手の方に、昨日見たサーカストレーラーを見つけた。今日は三角形の2辺をなぞった形で移動し、昨日泊まったFriasの町からこのFernandezまでは直線で、三角形のもう一辺になるのだ。
レストランでビールとおつまみだけ買って、外に出ているテーブルでとおりの人々を眺めつつの夕食。オープンカフェ風。自転車の割合が多い。3人のりもざら。オートバイでも3人乗りしている。
静かに夜がふけていく。これからのことを考えると、ちょっと重苦しい気分。

 

コラム:アルゼンチンのスポーツ

アルゼンチンの初日、一番驚いたのは、休日の公園に群がる民衆だった。そこで何の催しがあるわけでもない。公園だけでなく、高速道路の脇のちょっとした緑地にも人は座っていた。お天気がよかったからなのか、砂糖に群がるアリのように、緑の草の上に集う人々。家族で、友人で、恋人で揃って外に出るのがブエノスっ子の休日の過ごし方らしい。

アルゼンチンのスポーツといえば、サッカー。サッカーなど特によく知らない私でも、マラドーナの名前くらいは聞いた事がある。サッカーをする人々の姿ももちろん見たけれど、テニスをする人々の姿もよくみた。アルゼンチンでこんなにテニスが盛んだなんて思いもよらなかった。だって、ほら、テニスで有名って言ったらアメリカやヨーロッパ、オーストラリアなどではないか。

…と思ったら、どうもテニスだけではないようだ。アルゼンチンには、パドレというテニスに似たスポーツがある。私が見たのは、これかもしれない。パドレは、卓球よりひと回り大きなラケットでボールを打ち合うスポーツで、ラケットボールに似たスポーツらしい。後ろの壁も使うところがテニスとは違うところ。

アルゼンチンの中部には、バリローチェというアルゼンチンのスイスと言われる美しい町がある。ここには本場スイスのようにスキー場があり隣国からもスキーに訪れる観光客が絶えない。

 

 

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<このページの最終更新日:06/03/06 >