次々と来る悪い知らせに意気消沈し、黙々と南を目指して走っていた。米国に入国できないなら、帰国ルートは、豪州や欧州経由もあるようだ。ブエノスアイレスからはイタリアにも直行便が飛んでいる。イタリアからなら、まさに、マルコの足跡を最後まで辿る旅になっちゃうなあ。そんなことをぼんやりと考えながら車を走らせていた。 お昼は、道路沿いのレストランで、アルゼンチン料理。炭火で網焼きしたバーベキュー、パリジャーダParrillada(内臓のソーセージの盛り合わせ)。 |
![]() ラ・プラタ河を横切る80km以上の道路.鉄道と平行している。 |
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ブエノスアイレスに着いてまずは宿の確保をした。それから、空港のDelta航空カウンターへ。今日のDeltaの米国行きフライトはキャンセルされていたが、私達が乗る予定の翌日の分からは再開するとのこと。とりあえずは、ひと安心。 **** 翌日は別々にブエノスアイレスの町を探索。フライトは夜なので、夕方にホテルで落ち合うことにして別れた。 |
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カサ・ロサーダCasa Rosada(ピンクの家)の名で有名な、大統領府。 |
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建物の雰囲気はヨーロッパ調。さすが南米のパリと言われただけある。東欧を歩いてきたという相棒によると、パリというより、東欧の雰囲気に酷似しているという。 建築物だけでなく、例えば日付表記が(日/月/年)だったり、ホテルの部屋にビデがあることなど、いろいろな所がヨーロッパ式だと感じる。 |
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赤レンガ倉庫の再開発地域。1階はおしゃれなレストランやバーが入っている。港にはヨットが並び、優雅な景色。 |
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コラム:銀の国 |
飛行機の窓から最初に見えたこの国の景色は、茶色いラ・プラタ河の色だった。
リオ・デ・ラ・プラタ Rio de La
Plataとは、スペイン語で銀の川の意味。ロサリオに要塞を築いたヨーロッパ人が現地の人々から銀を入手したことに、河の名は由来する。 argentumが銀であると言われると、銀の化学記号がAgであるのも、なるほどとうなずける。 アルゼンチンは銀の国といわれたが、ジパング、日本はその頃、同じヨーロッパから金の国と言われた。ヨーロッパの東には金の国、西には銀の国があったというわけだ。 |
![]() 何の変哲もない道に見えるけど… |
マルコの時代の港は、ここよりずっと南のボカ地区なのだけれど、港の雰囲気を味わえるかと期待して、フェリー乗り場へ向かった。 フェリー乗り場へ行くには運河を越えなければならないが、その橋が回転するようになっていて面白い。橋というより、地面がゴゴゴ…とゆっくり動いていく。 |
![]() 信号が赤の時は、道路が分断される。 |
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道路には、円形の切れ目がある。信号が変わるとこの部分が逆方向にずれていく。
フェリー乗り場には、隣国ウルグアイの各都市へ行くフェリーの時刻表が掲げられていた。 余裕があれば、古都の雰囲気漂うというウルグアイにも足を踏み入れてみたかった。 |
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<このページの最終更新日:06/03/06 >