オーストラリア
'88/2/1〜'88/4/3

第2章
−シドニーでの生活−

<英語学校のこと>

シドニーのcity(中心街)にある英語学校、EFL(English as Foreign Language) Teaching Laboratoryの5週間コースに参加した。5週間が1ターム(学期)で、毎回初日はOxford St.本校で実力テスト。新入生には、その前に学校長からの挨拶がある。テストは、ヘッドホンを使ったlistening comprehension(TOEFLよりはかなりやさしい)と作文。題材が『Sydneyについて』だったと思う。私は、前の晩にシドニーの印象について手紙を書いていたので、それを易しい英語にした。面接をして簡単なことを聞かれ、終了。午前中で終了。2日目は、クラス発表。クラスの難易度にもよるが、人数は1クラス約15名弱。私は、ハイドパーク横のElizabeth St.分校のマークのクラスで、最終的には16人だった。国別人数比は、学生の春休み中だったこともあって日本人が全体の4割位で、トップ。その次がタイ人。続いて中華系、スイス人など。
簡単な自己紹介から始まり、お互いを覚えるためのそれぞれの名前や好きな食べ物、色を言い合うゲームから授業が始まった。授業は、文法、ゲーム、言語に関する知識を織り交ぜ、カセットテープも使って変化に富み退屈しない内容。文法やテストは中学3年生の授業程度。宿題も殆どなく、進み方もゆるやかで、楽しく授業を受けた。先生は、イギリス系オーストラリア人であったが、オーストラリア独特の発音ではなく、(イギリス系の)標準英語で授業が進められた。

<時間割>

毎週火曜日の午後は作文。毎週木曜日の1時間目はshort test、2時間目は答え合わせ。毎週金曜日は自習の日で授業はなし。学びたい人が来て、ラボでテープを聞きながら自主学習する。私は初日だけ行ったが、主に発音練習だったのでその後はいかず、実質週休3日であった。

学期の終わりに一日遠足があり、クラスごとに近郊へ遊びに出る。
午前と午後にそれぞれ20分のCoffee Breakがあり、クッキーやコーヒー紅茶が飲み放題食べ放題。この時間に他のクラスの友人ができたり、情報交換したり。

授業に遅刻すると、どんないいわけも通用せず、その時間中はクラスに入れてもらえなかった。遅れてきた生徒に説明し直したりグループを組み直したりする時間を一切なくし、効率良く授業を進めるという方針に基づくものであって、遅刻が成績に影響するわけではない(と思う)。

先生やクラスメイトによってクラスの雰囲気が大きく異なるだろうが、私は両方に恵まれ、楽しい英語学校生活を送った。また、文化の異なる人達の考え方にイライラさせられたり驚かされたり、改めて日本を考え直したりという機会を持ち、語学の習得以外にも得るものの多い経験だった。

1

9:00-10:45

105 分

 

Coffee break

20 分

2

11:05-12:45

100 分

 

Lunch time

60 分

3

13:45-15:10

85 分

 

Coffee break

20 分

4

15:30-16:30

60 分

 

<ホストファミリーのこと>

学校の期間中の5週間をホストファミリーの家にお世話になった。Yuide夫妻は40代半ばの気さくな人達で、会ってすぐホストファミリーに対する不安は消えた。
Dougは高校の体育の先生。海岸でレスキューの仕事(オーストラリアでは尊敬される職業)をしながら大学へ通って法律の勉強をしている。その上、暇を見つけては家の修繕をしているという。家の全ての部屋のペンキはDougが塗ったものだそう。口ひげとちょっと膨らんだお腹に貫禄があるけど、とても優しい人。Mickeyは4人も子供がいるのに若々しく、お姉さんのようなママ。長男Jasonとは2,3度しか会わずよくわからなかった。知的な青年。今学期(オーストラリアは2月が新学期)から大学1年生。次男Aaronは高校生で将来を期待される州のベストランナー。でも恥ずかしがりやであまりしゃべらなかった。他の兄弟たちからも、Aaronは口をあけずにぼそぼそ早口でしゃべるんだよね、とからかわれていた。弟Jacobをかわいがる様子は微笑ましい。末っ子Jacobは一家の中心人物。Yuide家は、Jacobの泣き声に一日が始まり、Jacobの叫び声で一日が終わる。2歳半にしては体格も良く、よく運動し、よくしゃべる賢い子。末っ子なのでちょっと甘えん坊。人見知りせずひとなつこいので誰にもかわいがられる。

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末っ子のJacob

近所にMickeyの母親のJoeが住んでいて、Jasonはこちらに住んでいるようだった。Samanthaは19歳の長女で、独立して働いている。ボーイフレンドのMichaelはSamanthaに首ったけ。小柄だけどスタイル抜群、きりっとして気が強そうだけれど、時々私を元気づける言葉をくれたりと優しい一面を持っている。

Yuide家では、今までにも何人もの学生を受け入れている。私の滞在中は他にスイス人のトムTomがホームステイをしていた。

住所は、ボンダイジャンクションから歩いて10分程の住宅地。ボンダイビーチやブロンテビーチなどが近く、放課後によく寄り道した。
家の周りの木は伸び放題でジャングルのよう。道路に面した方の玄関は普段殆ど使わわれず、台所横の二重扉になってる勝手口が通用口。食堂と台所は青と白で統一されている。壁紙とカーテンの柄が同じなのは、こういうセットで売られているんだろうか。いつもきちんと清潔。奥の納戸には洗濯機、冷蔵庫などがある。Dougのかわいがっている熱帯魚の水槽も。居間の壁はうすいグリーンとピンクのパステル調。入口の右手に天井からひもがさがっていて電気のスイッチになっている。暖炉の上や壁のあちこちに、家族の写真がたくさん飾られている。二階のバス・トイレは緑で統一。家中に学生からのお土産品がある。私の部屋は2階の南側だけど清潔でシンプル。6畳位の広さにベッド、机、椅子、ベッドサイドにスタンド、引き出しつきクローゼット、本棚ともう一つ白い箪笥がある。ベッドカバーは紫に白いレース編。壁は淡いブルー。白と水色が基調の落ち着いた雰囲気。床は板張り。

 

<シドニーの交通機関>

街には網の目のようにバスの路線が走り、地下鉄、鉄道、フェリーにも簡単に乗れ、乗り継ぎも便利、本数も多く、自由な足をもたない旅人にもとても便利。タクシーもよく街中を走っている。公共の乗り物に比べると格段に高いが、日本ほどではない。

まず、駅や観光局で売っているパブリックトランスポートトラベルマップ(A$1)は必携。地下鉄、鉄道、バス、フェリーの路線が載っている。これとトラベルパスとを活用し、私はシドニー中を縦横無尽に歩きまわった。トラベルパスとは、シドニーの一定地域内の交通機関を月〜日曜日の間乗り放題のチケット。地域や使い方で色分けした種類がいくつかある。私がよく使ったのは、Cityとその周辺5-6kmのバス、電車、フェリーが乗り放題のRed Travel Pass(A$11.20)。学割が効けば半額。

この他に、666や777という連番の無料バスがそれぞれ30分間隔、10分間隔で市内を走っている。赤い車体、111番のSydney Explorerは、A$10で乗り降り自由の市内観光バス。25分間隔で走っている。

 

<食生活>

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街でよくみかけるKebab Bar

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センターポイント地下のtake awayの店

街のあちこちにあるミルクスタンドで、ミルクやジュース、fish & chips、dim sum(春巻きや揚げ物の点心)、サンドイッチなどを安く買って、公園や道端で気軽に食べることができる。しかし、どれも味が濃く、しょっぱすぎ、甘すぎ。さっぱりしたものが少ない。

昼食は、主に学校の近く、シドニータワーの下センターポイントで、レバノン料理のシシカバブ(羊肉入りブリトー)、インド料理のカレー、サンドイッチ、中華料理などをtake away(お持ち帰り)し、ハイドパークの芝生で食べた。

ホームステイ先ではあまり手の込んだ料理は出なかった。Yuide家が、典型的なオーストラリアの家庭なのかはわからない。だが、オーストラリアはイギリス系だから、どこも皆同じようなものかと思う。
朝食はパン、フルーツ、ヨーグルト、シリアル、ミューズリなどどれでも台所にあるものを好きに食べて良いことになっていた。私は最初パンを、それからTomが健康にいいからと言っていたミューズリを食べていた。
夕食のメニューは、10種類くらいがローテーションして出てきた。ある日はスパゲティボロネーズ(小学校の給食のソフトめんミートソースがけみたい)。またある日は野菜(グレイビー付きじゃがいも、マッシュポテト、かぼちゃ、人参、ブロッコリ、グリンピース、チーズをのせたトマトなど)とお肉(ラム肉やビーフロースなど)の組み合わせ。またある日はピラフとチキン。またある日はドリア。またある日は、ボンダイビーチから買ってきたfish & chips、エビ、かになど。

オーストラリア、ニュージーランドでは、酒類販売のライセンスがないレストランにBYO(Bring Your Own)の看板がかかっている。BYOのレストランでは、自分で買ってきたお酒をお店に持ちこめる。当然レストランで頼むよりも安く済み、飲みきれないボトルは持ち帰れるという大変ありがたいシステムなのである。グラスや栓抜きはお店で出してくれる。BYOの表示の無いところでも、いくらかのチャージを払えば持ちこめるところもある。BYOのレストランには、ワインをボトルで持ちこむのが一般的のようだ。オーストラリアのワインは、南オーストラリアのバロッサバレーのものなどが有名。ビールを飲むのはPubが一般的。代表的な銘柄は、今や日本でもお馴染みのFoster'sを初め、QLD州のxxxx(フォー・エックスと読む)、VIC州のVictoria Bitter、Swan、Tooheys(テレビで繰り返し流れていたCMソング、♪I feel like a Tooheys I feel like a Tooheys I feel like a Tooheys for two♪いつのまにか覚えてしまい知らぬ間に口ずさんでいた)。

 

<日記>

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シドニー近郊

88/2/8月 晴
watchはNSW州の時間にあわせたのに、clockを合わせ忘れ、台所の時計を見てびっくり。初日から遅刻だー!と大慌て。事前に学校の場所を確認しておいてよかった。9時に5分ほど遅れたが、初日で混乱していたためまぎれこめた。学校長の挨拶、クラス分けテスト、簡単な面接をして午前中で終了。

Bondi JunctionまでOxford St.を歩いて戻った。Bondi Junctionでぷらぷらしていると、びんを持った物乞いがお金をねだりに来る。断ったがしつこく、10セント出した。もう1枚というのを頑として断る。他の人はどうしているんだろうと見ていると、次のおばさんはいやな顔をして断っていた。働かざるは食うべからずなのか。

家の近くで今度はItalianに出会う。コックだそうだ。Seafood riceをもらってしまった。オージー(オーストラリア人)といいハンガリアンといい、イタリアンといい、親しげに寄ってくる人の対応に困る。ホイホイついていっちゃいけないだろうし、かといって本当に善良な人に冷たくするのも悪いし、オーストラリアでの常識がどの程度なのかまだわからず、戸惑う。

88/2/9火 晴
クラス分け発表の日。私はElizabeth St.分校のマークMarcのクラス。ハイドパーク向かいのビルの2,3階がEFL teaching LaboratoryのElizabeth分校。前学期からいる人達、うるさいほど元気。その中の一人がマークのクラスはよい、と言っているのを聞いて一安心。部屋に入ってきたマークの第一印象は、怖そうと思ったが、仕事熱心で楽しい人だった。

マークのクラスの16人中7人が日本人。マコト、ススムは学校では古株の日本人。タカシは巻き舌でしゃべる福岡出身の積極的な二十歳。ラグビー選手らしく、180cm以上の大柄な若者。ヨシキは真面目な中大4年生。レイ、マキ、私は同年代の女子大生。タイ人は3人。ソラサクは、噂によると富豪のお坊ちゃま。有名な中華レストランMekongのオーナーだそうだ。ミンは最年少17歳のタイ人。はにかみやで、口数が少ない。フィンガー5のアキラにそっくりと言うとマキに受けた。ポーンは30歳、陽気な人で皆を笑わせる。真面目にトンチンカンなことを言っているのかふざけているのかがわからない。ピアは29歳のインドネシア女性。小さくてかわいい。心理学を修めたそうで賢そう。フィリピンのアキノ大統領に似た感じ。ピリとバーバラは同年代のスイスの女の子。2人とも美人。ピリはクッション工場、バーバラは旅行代理店で働いている。フィジー人のラジェッシュは年齢不承(おそらく20代)、母語ヒンディー語。彼の英語は早口ではっきり区切らないのでききとれず、会話に苦労する。中国人のルジータは、頭の回転の速い19歳の女の子。キャロリーヌは、知的なフランス美人。スタイル良しファッション良しで華やか。

スペリングの知識や文法などはさすがに日本人が強いが、discussionとなると中心はラジェッシュ、タカシ、ルジータの3人。ポーンも文法などかまわずにしゃべる。私は、頭の中で構文を組み立て、一文を作りあげてからしゃべろうとするので、思ったことがすぐに口に出てこないのがもどかしい。

放課後は、海辺のゴルフ場へ。Yuide家滞在3日目にしてもう完全にくつろいでいる。家族も学校のクラスも皆nice peopleで、とてもラッキー。

88/2/10水 晴
Yuide家への日本人の滞在者は私で5代目らしい。これまでの人達は、ダイビングが好きでオーストラリア人と結婚してしまった女性とか、3ヶ月いても英語が上達せず、殆ど会話を交わさなかった奇妙な男性など。

Yuide家は各々自由に過ごしていて、一同そろって食事をとることは稀。夕食は大抵スイス人のTomと二人だった。社会的な問題についてしっかりした考えを述べるので、感心してしまう。スイスは国民皆兵なのだけれど、彼の友達は、ビールを大量に飲んでわざと体調を崩して検査に行き、不適とされ兵役を逃れたそうだ。

88/2/11木
今日の午後は手話を教えあったり、バレンタインデーにちなんでPaul Simonの歌”50 ways of leaving lover”を聴いたり。学校が早く終わったので、マキとウィンドウショッピング。どれもかわいいがmade inはTaiwanかChinaかKorea。そして毛糸物はアクリル100%。羊毛の国のはずなのに、ウールはどこへいってしまうのだ?いつもは16:30で閉まってしまう店も木曜日は遅くまで開店している。『ハナキン』ならぬ『花の木曜日』なのだ。

88/2/12金 晴
毎週金曜日は自習の日。しばらく自習してからマキとチャイナタウンへ出た。角のパブには酒のみがごろごろいる。半ドンでやってきた肉体労働者か失業者か。身なりはよくない。肌の色はさまざま。

Australian Museumへ行った。入場無料。でも維持費のための募金箱に寄付した。MickeyやJacobがよく言っているポッサムpossomという動物の剥製があり、ようやくどんなものか理解。Macquarie St.の店でアイスを買ってHyde Pk.で休憩。アイスは大盛りでfrozen strawberryが入っていて美味。絵葉書10枚1.5$の店を探しに、市内を無料で走る666のfree busに乗って、サーキュラーキーへ。2$に値上がりしていた。
サーキュラーキー付近は手品、アクロバット、ダンス、楽器演奏など芸人が大勢、人を集めている。開放的で楽しい所だ。Milk StandでIced coffeeを頼むと、アイスクリームがたっぷり入っていた。Icedは『冷たい』だけじゃなく『アイスクリームの入った』の意味があるみたいだ…。

家に帰るとJacobが部屋に遊びに来た。半分壊れたテープレコーダーをいじったりマニキュアで手をべとべとにしたり。

夕食はTomと。話題は食事のこと。オーストラリアのtake away(お持ち帰り。日本のテイクアウトと同じ)はtoo sweetかtoo saltyと2人の意見が一致。そこから食事の時のマナーや乾杯のCheers!について、握手についてなど習慣に関することまで話が発展。

他の家族はといえば、Dougは大学に法律の勉強に行っている。長男のJasonは、近所のおばあさんの家に滞在しているし、Aaronも週末はおばあさん宅へ。

88/2/13土 曇のち大雨
家のあるBondiからCityの方へ、当てもなくぷらぷらと歩き回る。Centenial Parkでどしゃぶりになる。雨宿りにアンティークショップに入った。どれも高い。
Paddingtonマーケットを通った。主にアクセサリーその他ガラクタ市のようなもの。シャボン玉の芸をしてる人がいた。大きなシャボン玉、きれい。
途中雨がひどく、Kings Crossから電車でセントラルへ。どしゃぶりなので進めず、使い捨てのレインコートを買ってPaddy'sマーケットまで行った。数あるお店をくまなく見終たら2時間ぐらいかかった。アクセサリー、時計、洋服、靴、毛皮、写真、本、鞄などいろいろあって安いが、質は必ずしもいいとはいえないみたい。欲しいと思うものはなかった。もう一方の区画には野菜、果物、魚、肉などの生鮮食料品が並んでる。安い!大量に買いこんだらかなりお得と思われる。お昼はチャイナタウンへ。周りの西洋人は皆、異様に長くて先まで太い使いにくそうなお箸を器用に使ってnoodleを食べている。
建設中のダーリング ハーバーDarling Harbourへ出てみた。中国庭園はなぜか人気で、渋滞して先に進めないほどだった。途中でまた、ものすごいどしゃ降り。全身ずぶぬれになって家へ帰った。

オーストラリアの新聞を初めて読んだ。といってもほんの数行。The Daily Telegraph紙は、スポーツ、漫画、広告ばかりの大衆紙。Tomの言うようにnot serious。World Newsがほんの半ページしかなく、しかもマリリンモンローの着ていた大胆な色っぽいブラウスが$17000で売れたという記事が写真入のメイン。The Sydney Morning Herald紙は5つのセクションに別れていて、1日分でなんと188頁もある!それがたったの70セント(\60)。(1)国内外ニュース、(2)Business、(3)Spectrum、(4)Real Estate、(5)Employment。日本の10分の1の人口で188頁とは!今日のSydney Morning Heraldの見出しは移民政策に関することで、興味をそそられたが、難しくてなかなか読み進まない。

88/2/14日雨のち曇時々雨
昨日にこりてバスでKings Crossへ。昨日ゲイが手をつないで歩いていた辺りの公園付近で降りた。Fitzroy Garden前の角のThe Royal Copenhagenでアイスを食べたが、これはおいしかった。アイスよりコーンがパリパリ柔らかくておいしい。トッピングが無料なのも嬉しい。Kings Crossは和食店も多い。『雪国』の前に懐かしい緑のオウムマーク、こんなところまでカラオケが進出しているのか。

Elizabeth Bay Houseは1835年に建てられた植民地時代の面影を残す豪華な館。Gパンと一緒に洗ってしまい、写真がとれてボロボロになった学生証を見せたら、受付のお姉さんにどうしたのと笑われてしまった。

Art Galleryは入場無料。前衛的なのはよくわからない。Tom Robert(Australian)のが一番よかったかな。展示品を見ていると、見知らぬおじさんに「コニチワ」と話しかけられた。南は鹿児島から北は東北の方まで行ったことがあるという。浮世絵は良い、と歌麻呂、北斎の名を挙げていた。2階はANA協賛の日本木版画家特集で、棟方志巧(1903〜75)の作品を展示していた。かなり人気があり、人が大勢いた。

それから、ハーバーブリッジへ行き、南東のパイロン(塔門)に登った。201段の階段を上るのはちょっとハードだけど、見晴らしは素晴らしい。

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南東のパイロン(塔門)から見たハーバーブリッジ

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南東のパイロン(塔門)から見たオペラハウス

塔を降りて、橋を南から北の方へ歩いて渡ってみた。Milson's Pt駅から電車に乗り、Town Hall駅で乗り換え。ここのエスカレーターは木製の足場で珍しい。シドニーの地下鉄駅は、雰囲気が暗い。基本色が黒だし鉄筋が剥き出しでrough。壁広告によると、Soon everybody in Sydney can travel first classだそうで、もうすぐファーストクラス並みにきれいになるよってことかな。電車はダブルデッカー(2階建て)。幅も広い。シートの背が手でひっくり返せる。

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地下鉄のリフト(エスカレーター)の足場は木製

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座席の背のひっくり返し方

夕食にはDougの妹、最近イギリスから帰ったというCarmelが来ていた。若く見えるけど年齢不承。珍しく宿題が出たのでとりかかる。

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ダブルデッカーの車内

88/2/18木 晴
木曜はテスト日。Future tenseに苦しむ。午後、道順の言い方学び、4時間目は道順の言い方の実習、マークのinformationに従ってcityを歩き回り、Art Galleryへ行くというもの。辿りついたのは16人中4人だけ。あるいはそのままサボって帰っちゃったのか。連日の寒さに耐え切れず、洋服を買いにデパートへ。公衆電話の所で5セント2枚を10セント玉に変えてくれと話しかけられた。OK, no problem。もう英語で話しかけられても慌てることはない。2週間でだいぶ度胸がついてきた。

88/2/19金 快晴
Bondi Junctionをぶらぶらした後Bondi Beachへ。ビーチにはウワサ通りトップレスがいる。ビーチの真ん中辺りは日本人観光客がうろうろしている。ススムに教えてもらったパンケーキの店に入り、昼食。

88/2/20土 曇
突然カメラが壊れた。Tom, Carlの出発の日だというのに、一緒の写真が撮れず残念。Dougが撮ってくれた。

今日は、バルメインマーケット(Gladston Pk前の教会St. Andrew's Congregation Church、Darling St.235あたり)へ行った。ここもPaddington Marketと同じようなもの。規模はもっと小さい。売り子のお兄さんに話しかけられるが、言ってることがよくわからなかった。でも、もう通じなくても別段気にもしない。

歩いてBalmain Eastの方へ。Iron Cove Bridgeを歩いて渡った。橋の下ではレガッタの練習。パーンという音で一斉に舟が飛び出していく。舟ごとにおそろいの赤や黄色や緑のシャツがとてもカラフル。橋を渡りきるとDoug達が面白いよといっていたバーケンヘッドポイントBirkenhead Pt.。大きなショッピングセンターだ。クルーザーの展示場もあって面白かった。LEGO Centreというブロックのおもちゃ売り場があり、いろいろなブロックの作品も見られた。花屋さんにはBONSAIsのコーナーがある。松などは全くなく、ただの木を小さな鉢にさしただけというもので、とても盆栽には見えない。

次の橋は、Glodesvill橋。渡りきったところで今度はTarban Creak橋を歩いて渡る。ここまでくると、橋を全部渡り歩いてやろうという気になる。遅く帰って一人で夕食。いつも話をしていたTomがいなくて淋しい。

88/2/21日 晴
オーストラリア原産の動物の数がオーストラリア一であるというタロンガ動物園へ。バスの中でチャイナタウンへの行き方を尋ねられた。エッ、チャイナタウンは逆方向だよ、とHay St.へ向かうバス停を教えてあげた。韓国人だって。同胞だと思ったらしい。何しに来ているんだと聞くので、英語の勉強と答えると、オーストラリアの英語はpopularじゃないのに、なぜオーストラリアなんだと言われた。まあ確かにね。

タロンガ動物園には日本語のパンフレットもある。ここで初めてコアラを見た。皆木の上でお休み中。動かなくて面白くない。チンパンジーやキリン、羊など見て周り、別にこれなら上野動物園と変わらないじゃんと思う。生後2,3日のバンビはかわいかった。オットセイの所でやっと救われた思い。暑くて水が気持ち良いのか元気に泳いでいた。カモノハシは想像していたよりずっと小さく、つくりが精巧。すばしこく動きまわり、見ていて飽きない。13:15からのオットセイショーを見た。満員御礼。面白いけれど、解説がわからず笑いに取り残されて淋しい思い。あとは簡単に一通り見て周った。特に目を引くようなものもない。もともと動物園はあまり好きではなかったのだ。オランウータンの檻の前では憤りさえ感じた。暗い殺風景な檻の中。檻に手をかけているオランウータンが哀れに見える。森の中ならあちこち動き回るだろうに。以前読んだ動物園廃止論を思い出す。

サーキュラーキーではいつも違う芸人が人を集めている。今日は東洋人が2人、似顔絵描き。その横で中国人がタイガーバームを売っていた。

Red Passのあるうちに行ける範囲を全部行ってしまおうと思い立つ。バスで半島の最南端ラプルーズLa Perouseへ。右手の方には石油タンクと墓地、そして丘の上にはでっかい館が見えた。あれはなんだ?Yarra Bay Houseってやつだろうか?La Perouseの先端には石柱が建っており、ガールスカウトのジャンボリーが行われているようだった。アボリジニのおじさんがブーメランを売っていた。Bre Islandへは橋がかかっていたが正面の建物には入れず。小さな階段をつたって岩場におり、左側から一周しようとしたら行き止まり。今度は右から回り、どんどん足場が狭くなるところを無理して歩いて行くと、あっと思った瞬間貴重品の入ったポーチを海に落としてしまった。一瞬ためらったが流されちゃ困る、と靴のまま飛び込んだ。水は浅く、くるぶし辺りまでしかない。左腕に擦り傷作り、足をぬらして引き返す。おっちょこちょいとむこうみずは相変わらず。反省。18:00のバスで戻り、電車に乗りかえる。前の人が学生証を見せていたので真似て英語学校の学生証をみせたら半額になった。今まで知らなかった!

家に戻ってLa Perouseまで行ったと言うとDougに驚かれた。「君はシドニー滞在を1分も無駄にしないんだね」。あそこらへんは、アボリジニが目隠しして殴ってお金を取っちゃうから気をつけろ、と言われた。事実かしら。偏見かしら。

2/22月 晴
授業は関係代名詞制限用法と非制限用法。ちょっと苦手なとこだ。あとdefinitionの仕方。

帰りにBondi Beachに寄った。砂浜に座って波の音を聞き、夕陽を浴びて風に吹かれるととても心地よい。Bondi Beachはいつも波が荒いみたい。あちこちでカップルが寄り添っている。先週金曜日に来た時は、無邪気に戯れるカップルを見た。あとずさりする女性を男性はからかいながらつかまえようとする。逃げる彼女を抱きしめ、抱き上げ海の中へ歩いていく。足をばたつかせてはしゃいでた彼女はたくましい腕に抱えられ、自分の腕を男の首にまきつける。二人とも四肢がすらりとしてスタイルが良く、映画を見ているようだった。決まってたなあ。

マキの話を聞いていると気の毒になる。ステイ先のおばあさんは、費用のことでマキに文句を言い、食事はいつも同じごった煮、週末手伝いをしないとnaughty girl(行儀の悪い女の子)と非難され、テレビや洗濯機は使用禁止、短パンでいると失礼だからはきかえろと言うそうだ。その話をMickeyにすると、そのおばあさんこそnaughtyだ、とんでもないと言う。
話のついでに、ホームステイを引き受けて見知らぬ若者を家にいれて何のメリットがあるのかと聞いてみた。ホームステイ代は5週間で6万円。平日は夕食朝食つき、週末は3食。学生2人をおけば、家計の足しにはなるか。それにしても、この家では食事はケチらず、お腹いっぱいだと言ってるのにもっと食べろと勧めてくれるし、果物やジュースは好きにとり放題だし、洗濯機やテレビは使い放題、手伝いもベビーシッターを期待している様子はない。門限もなし、うるさく言わないし、とても楽だ。これだけはやめてね、というきまりさえもない。自分の家庭に他人が入って勝手にされるのは嫌ではないのだろうか。Mickeyは何故そんなことを尋ねるのかという顔で、ただfriendlyにやってるだけ、学生にも楽しんで欲しいし、自分たちもおしゃべりを楽しんでいると言う。特に何の気負いも気配りもなくaccomodation(宿泊場所)を提供しているようだ。You are really nice people.と言ったら、あなたもよと言われ、笑顔を交わす。

皆で見ていた夜のニュースで日本が映った。横浜というのでどこかと思ったら、金沢自然公園のコアラの話だった。うちのすぐ近くなのよと興奮気味の私。よく研究もせずに人気だけで連れてきて動物を死なせてしまうのはよくないことだ、と言うと、Doug曰く、オーストラリアでもコアラの研究はまだまだなんだって。

88/2/24水 晴
授業は、関係詞、Survival game。それぞれ立場の違う人間8人のうち誰が生き残るべきかを主張するというもの。インドネシア人の共産主義に対する反応には驚いた。彼らはenemyだとピアは言う。4限目はIQテスト。面白かった。

88/2/25木 晴
週末テスト。昼食はマキとLantern Family Restaurant(515 Kent St. phone:267-1153)へ。Town Hall駅裏にあり、中華のbuffetスタイル。昨日皆で行った所より安くて種類が豊富。午後はことばづくり。毎度授業のお邪魔に現れるBobにMarcがことばをおしえてやれと言う。古株の人の話だと、この2人は学校で一番人気の先生コンビらしい。

シドニーの初めの2週間は寒かったのに、長袖を買った途端暑くなった。

88/2/26金 晴
The Rocks,Pier oneを歩く。週末だというのに人が少ない。Paddingtonあたりと似たようなベランダ付きの密集した古い家に、現政権ワーズワースを非難する垂れ幕が掲げられている。地価高騰で立ち退きを迫られている住民だろうか。Garrison Churchの中へ入ってみた。キリストの教えを説く文がしおりになったカードが19言語もあった。こんなに数多い種類を見たのは初めて。アラビア、トルコ、ギリシャ、西、伊、仏、独、オランダ、クロアチア・セルビア、ポーランド、中、カンボジア、インドネシア、タイ、ベトナム、朝鮮、日、トンガ、ピジン。小学校の団体が入ってきた。生徒が一人立たされていた。ああいう風景はどこも同じだ。Observatory Hillに登る。最後にArgyle Centreへ。建物が素敵。MARY REIBEY'S HISTORIC CAFEという店でお茶した。メニューを見てもよくわらないので適当に注文。Baklavaというパイ重ね蜂蜜付けナッツ入りでべったりと甘い(これは中近東のお菓子らしい)。
Botanic Gardenへ。2月2日に初めて来た時に見たのは、全体の10分の1だったのだ。歩いてみてその広さにびっくり。そしてその美しさにも。箱根のピクニックガーデンを思い出す。公園の中央辺りに幹の太いどっしりした木がある。枝が垂れ下がっていて、『ふしぎな島のフローネ』の木の上のおうちみたい。登りたくなっちゃう。バラ園のバラが素晴らしい。バラに囲まれて中央に立っているとお城の女王様のような気分。こんな広くてきれいなところに人が殆どいなくて、ついもったいないと思ってしまう。

帰り道、ブリスベンのYHで会ったLouisaに偶然出会った。いとこの家にいるのだそうだ。なんだかブリスベンの時より元気がないみたい。それに英語が前ほど流暢でないように聞こえるのは、私が上達したせいだろうか?彼女は翌日Chatswood駅から出るBush Adventure Tourへ行くそうだ。

88/2/27土 晴
Louisaの言っていたBush Adventure Tourは帰りPalm Beachの方へ出るらしいので、参加してみようとChatswood駅へ行ってみた。しかしそこから電話してみると当日参加はできないとのこと。Chatswood駅東口から出ている136のバスに乗って海岸線に出、北上してPalm Beachへ行く事にした。バスの中はDeeWhy Beachへ行くサーファーで始発駅から満席。大きなサーフボードが邪魔。DeeWhyでバスを乗り継ぎ、北上する。終点がパームビーチ。写真でよくみる、砂浜でつながっている陸地はどこだろうと探したが見当たらず。バス停の方まで引き返した。しばらく海につかる。水はそんなに澄んではいない。きれいな海岸線を期待して、2時間もかけてきたけどちょっとアテはずれ。しばらくすると警備員が注意しにきた。Shark(サメ)だって。いいというまで泳いじゃいけないらしい。浜にあがってたらヨシキが現れてびっくりした。まさかこんな所まで知ってる顔がいるとは思わなかった。ヨシキは海好きで毎週末ブロンテやクージー、マルブラの方までいってるそうで、かなり日焼けしている。

88/2/28日 晴
初めの2週間は雨が降ったりやんだりの寒い天気で、早くかーっと晴れて暑くなって欲しいと思っていたが、3週間目はずっと暑かった。昨日パームビーチで日焼けしたせいか全身だるい。1日休養日にした。Bondi Beachへ。公園にある屋根付きの休憩所でボーっとしながら本を読む。ガイドブックをみて、2週間後の語学学校終了後の旅行計画をたてる。突然、見知らぬおばさんがやってきて向かいの椅子に座り、無言で煙草をスパスパ吸い出す。無礼なヤツだなと思っていたが、話してみると気さくな人だった。Don't you like swimming?と聞かれ、「昨日焼いたから今日はお休み」と言うと、「ほんと、オージー達は一日中陽の下で肌焼いて信じられないね!皮膚ガンにもなるし」と言った。同感。10時〜14時の紫外線の強い時間には海に入らないよう私も注意していた。Aussieは時間帯も日焼け止めも何も気にせず、カンカン照りの下で平気で寝転んでいる。よく体がおかしくならないものだと思う。このおばさんはスウェーデン人で、ワーキングホリデービザで来ているそうだ。長期休暇で旅行に来ているのは、北欧やスイスなど生活水準の高い豊かな国の人が多い。日本人はお金は持っていても暇なく、猛スピードでかけずりまわるという感じだ。板を隔てた隣に座っているおじさん達、初め静かだったのにお酒が入ってご機嫌になり、大声でしゃべりだして歌まで出てきた。政治の話をしてたのか、North Korea & South Korea are fighting…というのが聞こえたり、世界の地名が出て来たり、Japanも出てきたけど内容はききとれず。AussieがJapと言うのは蔑称なのか愛称なのか単なる略なのか?(マークに聞いてみたら、略形だと答えた。それ以上説明しなかったので、もしかしたらいろいろな意図で使われているのかもしれない)

木陰に寝転んで音楽を聞きながらうとうと…。気持ちいい。

スイス人のRalphが2ヶ月ぶりに旅行から帰ったそうで、夕食に同席。10月14日までYuide家にホームステイし、それから2ヶ月半で大陸の南、北、西を旅し、クリスマスをシドニーで過ごし、1月5日に再出発、最後に北東へいって戻ってきたそうだ。オーストラリアへ来る前はタイのバンコクとマレーシアにも寄ってきて明日ニュージーランドに発つという。その後フィジー、トンガ…と寄り、ロサンゼルス、NY、ワシントン、ロンドンと周ってスイスに帰るそう。スゴイ…。

食後Mickeyの娘SamanthaもボーイフレンドのMichaelと現れた。彼らはQLD州へ旅行していて数日前に帰ったばかり。彼らと初めて会った時は、私がいつも通り学校から戻って戸口に回ったところ2人が熱く抱擁している最中で、こちらの方が慌ててしまった。Samanthaは気が強そうに見えるけど気さくなさっぱりした人。この時の出会いの場面をけらけら笑ってMickeyに話していた。

今夜は更に、Dougの友達でQLD州に住んでるStewartと連れのアメリカ女性Kimblyと居間に8人も集まった。StewartはPaddy's Marketで買ったんだと日本の羽織を得意そうに着てみせた。Gパン・スニーカーに羽織着て、袖が短いもんだから腕がにょきっと出て妙な格好。おりしもカルガリー冬季オリンピックの最中。皆の注目する中、伊藤みどり登場で、私も緊張してしまった。心中、日本代表頑張れーと必死に応援。演技は素晴らしく、皆からExcellent、Wonderfulの賛辞が出て、胸をなでおろした。

88/2/29月 晴
Jacobのかわいさを自慢したくて、マキを家へ連れていった。見知らぬ人が来ても、Jacobは物怖じもせず、いつものように私の部屋に入ってきてはおもちゃをばらまく。マキもJacobには完全に参ってしまったようだった。マキのホームステイ先は気難しい老婦人と2人きりなので、最近では自分の部屋にこもって顔をあわせないようにしているそうだ。

うるう年で1日増えた時にオーストラリアにいるのは、とっても得した気分。

88/3/1火 晴
授業で苦手のポーンと組まされ、彼の不真面目な態度(ポーンの名前は、Charang Pornで、ボクの名前はチャランポランです、とよく日本人に自己紹介している)にやる気をなくし、それでも真面目に取り組もうとポーンを説得にかかったら、ちょうどマークが説明をしているときで、怒られてしまった。それをきっかけに全ての事にやる気をなくしてしまい、無気力状態に陥ってしまった。

帰りにBondi beachに寄る。浜辺に座り込んでたそがれていると、声をかけられた。”Are you a Japanese?” “Yep.”もう動揺はしない。心構えもできてきた。しつこかったら拒絶すれば良いのだ。警戒しながらも、リラックスして答える。日本人の友達に書く手紙に冗談でBUSUと書きたいのだけれど、綴りはこれでよいのか、という変な質問。

88/3/2水 晴
昨日タイ人のソラサクに、第2次大戦の頃の話を両親から聞いたことがあるか、と聞かれた。戦時中日本軍が行った東南アジアでの暴虐を非難するのだろうか、最近の日本の再軍備化ともとれる動きや日本政府の無神経さに対する批判をくらうのではないか、と緊張していたら、そんな話にはならなかった。
今日は思いきって私から、被害を受けた国の現代の若者が日本をどう思っているのか聞いてみた。
私「タイの人たちは日本に対して特別な感情を持っているのか?」ソラサク「中にはもちろんそういう人もいるが、若者にとっては過去の話で、被害者意識はあまりない。」彼の話によると、祖母の家に負傷した日本兵が通りがかり、傷の手当てをしてあげたら帰る前にお礼を言いに来たそうだ。礼儀を知っている日本人でよかったとホッとした。

午前中は、立場の異なる2者がお互いのことについて主観的に書いたものを読み、それぞれの立場になりきって相手を説得するという授業。組んだルジータは、だめというのに両方の紙を読んでしまい、一人で納得してしまった。文句を言いたいけれど、口に出てこなくてあきらめて肩をすくめる。
午後は宝探しゲーム。ポーンは半分寝ていて重要な箇所を教えてくれず、間違ったことばかり言う。悪びれた様子もなく平然としている。クラスの中のタイ人、中国人を見ていると、厚顔であつかましい、笑ってすませる、図々しいといった印象を受ける。明るく人なつこいという長所も見られるが。文化の違いを感じる。彼らは、深く考えず頭に浮かんだことをすぐに口に出す習慣が身についているのかもしれない。日本人は慎重になりすぎ、あまり主張しない。これも問題かも。

マークは、自分でも学校に通っている。外国で英語を教える資格を取るために勉強しているそうだ。試験に受かったらどこに行きたい?と聞くと、アジアの国をいろいろ挙げていたが、Japan、特に北海道に行きたいと言っていた。

放課後はバスに乗ってWatson Bayへ。ヘッドホンで音楽を聞きながら海岸線の遊歩道を歩いていると、まるで映画のヒロインにでもなったような気分。公園の向こうに、TomやCarlと行ったGarden pubも見えた。帰りのバスを途中下車してRose bayで降り、家までてくてく歩いて帰った。

夕食はイタリアン。スパゲティとピザはDougが作ったんだって。スパゲティはいつものように柔らかすぎ、トマトソースは塩味薄く、ピザは逆にしょっぱい。でもおいしかった。食後Aaronに聞くと、Dougはたまに料理をするそうだ。あなたはできる?とからかう気持ちで聞いてみると、料理は好きだよと真面目に答えるので驚いた。男が料理をするのは、特別なことでも珍しいことでもなく、自然なことだととらえているようだった。

88/3/3木 快晴
オーストラリアではひな人形の宣伝を見ないから(当然だけど)、今日がひな祭りだなんてちっとも思い出さなかった。レイがひなあれらを持ってきていた。

恒例の週末テストも最後。1枚目はスプートニクに関するもので、ちっともわからず。大学入試より難しい。2限目の前、ホワイトボードを消していたら、マーク「Thank you」私「You are welcome」マーク「Don't touch my mastache. 」私「??(マークはつるりん顔でひげはない)」日本語の『どういたしまして』に一番近い発音の英語なんだって。昔の日本人が『掘ったイモいじるな(What time is it now?)』って言って覚えたのと同じですね。

午後は皆でHyde Park Barracksへ。オーストラリアへ植民者としてやってきた『白人達の』(とマークの注釈)歴史の博物館だ。

放課後はまたRose Bayの方へ寄り道。Neilson Pk.で降りて公園の中を浜辺へと歩く。すると突然左足の裏が痛み出した。最近歩いてばかりいたからか?びっこひきひき歩いて、19世紀にNSW植民地憲法の草案が練られたというボークルーズハウスを外から見学。Mickeyに電話し、今夜はオペラを見に行く予定だというと、「それはいいわね。楽しんでらっしゃい。外の鍵は開けておくから。夕食はいらないのね、じゃあね。」と一方的にしゃべってこちらにしゃべる隙を与えてくれないので、一度戻るつもりだって事を言いそびれて、帰れなくなってしまった。

夜はレイとヨシキとオペラハウスへ。学校が終わった後、マーチンプレイスのhalf Tixで、A$17位の当日券を買っておいた。half Tixへ行くと、当日券は大抵数枚から数十枚余っていて、いくらか安い。その代わり座席指定はできない。私の買ったP-19の席は最後尾。立ち見席はA$10。舞台の赤の階段が目にまぶしくて、舞台上の電光掲示板に表示されるセリフの英語訳(オペラはイタリア語だったので)がすぐには読めない。でも、この字幕のおかげで、筋がよくわかった。劇は、ネロ皇帝の愛人ポッペイアスの戴冠までの愛憎物語。キューピッド役の人の声が澄んだソプラノできれい。子供じゃないかと思うほど。仕草もお茶目でひょうきんでかわいらしい。オペラが終わると、22:30。港の夜景がすごくきれい。停泊中の船を見ていると、横浜港の氷川丸を思い出す。オペラハウスの階段の前では、巨大なスクリーンで野外映画会を催していた。

88/3/4金 曇
サークルの先輩基さんと村瀬さんを迎えに空港へ。すれ違いになるかと思ったが、ぎりぎり間に合った。ホテルに着くと、予約日が昨日になっていると言う。仕方なくホテル探しから始まる。間違って、一国しか入国できない一次旅券を取ってそのまま経由地のバリに入り、数次旅券の発行に手間取ってオーストラリアへの入国が遅れたらしい。二人ともそんなハプニングも意に介さず、辞書は持ってこないが将棋は忘れないという変な人達。

88/3/5土 曇一時雨
週末は洗濯日だ。洗濯物を干してから、シドニー大学へ。マコト、ススムに頼み込んで、無理矢理テニスの仲間に入れてもらった。約束の時間に誰もいないので、しばらく構内をお散歩。ちょうど卒業式だったらしく、角帽をかぶった誇らしげな笑顔がぞろぞろ出てきた。アカデミックな雰囲気。15時までテニスをして、皆と別れ、夕方はクージービーチからボンダイまでを海沿いに1時間半歩いた。Burrows Pk.からの眺めはスリル満点。沖縄の万座毛のよう。白い十字架がずらりと並んできれいなWaverley Cemeteryも通った。広い墓地を一人きりで歩くのは、また違った意味でかなりスリリング。浜辺を歩きつつ、足元を見ている限りでは日本の海とちっとも変わらないなあと思った。磯の香りというのは日本的なもののように思えるけど、考えてみればそんなことはないわけだ。

Dougはどんなにお腹いっぱいだと言っても、食べろー食べろーと勧めてくれる。今日は食べない、と断固として言ったのに、また明日歩けばいいよと、Bondi Beachにあるあのおいしそうなケーキ屋さんのケーキを食べさせられた。Weightが心配…。

88/3/6日 曇
おみやげを買いにPaddy's Marketへ出かけたら、サークルの先輩カコちゃんに偶然会い、びっくり。3月4日に会った先輩2人もカコちゃんが来るなどとは一言も言ってなかったのに。お昼を一緒に食べて、別れた。一旦買いこんだお土産品を家に置き、午後はマンリーManlyの最近オープンしたという話題のMarinelandへ。入口から長蛇の列。大きな水槽の下を電動で動く歩道に乗って一周する。頭のすぐ上を大きな海亀やサメが通ったりして、迫力満点。水中にいるような気分を味わえる。こういう形式の水族館は初めてで、面白くて2回も周った。非常用ボタンを押してしまう人がいるらしく、すぐ歩道が止まってしまい、その後しばらく動かずにイライラ。

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豪州の地図付き

マンリーのメインストリートは、歩行者天国で賑やか。Kings Crossにあったアイスクリーム屋さん、ロイヤルコペンハーゲンがここにもあった。
通りの突き当たりがビーチ。ボンダイビーチに比べて長く広いが、観光地化されているようであまり好きになれない。浜では何かのショウがあって人だかりがしていた。

マンリーは入り江の入口にあるので、船が外海に近づくとかなり揺れ、船の外にいると濡れてしまう。ひっくり返るのではないかと思うほどだ。

88/3/7月 晴
とうとう学校の最終週を迎えてしまった。夕食は、マンリーにいとこの店があるというポーンに誘われて、ヨシキ、マキと一緒にタイ料理のレストランへ。どれも辛くて涙を流しながら食べた。ご飯も野菜炒めの味付けもおいしい。やはりアジア料理は素晴らしい。途中から同じ英語学校のタイ人たちと合流し、大勢で食べる。タイ人は陽気だ。

食事にA$18もかけたのは初めて。はちきれそうに満腹。オーストラリアでタイ料理に散財するなんて思いもよらず。

88/3/8火 晴
学校のexcursion(遠足)でブルーマウンテンBlue Mountainsへ行った。Central駅から電車に乗り2時間でカトゥーンバKatoombaに到着。エコーズポイントまで皆でぞろぞろ歩く。ヨシキがゴミかと思って蹴り飛ばしたのは筒状になった朝刊で、捨ててあるのではなく家の前に置いてあるのだった。よくみると、歩道には細長いものが等間隔で落ちている。

Information Centerの窓からは色鮮やかな鳥が見えた。カッカドゥーというオーストラリアの鳥だ。下の展望台からはスリーシスターズThree Sistersがよくみえる。ハイキングコースを歩いて、サイクロラマポイントへ。ここからトロッコ列車で急降下する。一番前の席に座るといいんだというマークと(一番前は既にふさがっていたので)前から2番目に座った。実際に乗ってみると傾斜がはげしく、前の棒をつかんで腕で体を支えていないと倒れてしまうほど。トンネルをくぐって暗くなると叫び声があがる。列車のすぐ横に森が迫ってくる。ちゃちなジェットコースターより迫力があって面白い。最大傾斜度は50度もあるそうだ。下まで到着し、滝の近くまで歩いて行き、そこでランチ。こういうハイキングコースや山道の岩場などは私のお得意のところ。ぴょんぴょん飛び跳ねてあちこち探索。

昼食後また同じ道を戻った。トロッコ列車に今度は後ろ向きに乗り、上ってゆく。カトゥーンバ駅からシドニー行きの帰りの電車内は、遠足の子供達のように皆でワイワイ。得意技を見せ合ったり、ポーンがスキヤキソングの日本語版を教えてと言うので、五線をひいて楽譜付きで書いてあげたり。バーバラたちのボーイフレンドの写真(ハンサム!)を見せてもらったり。帰りに数人でPark St.とElizabeth St.角のKingsHeadへ飲みに行った。Park St.あたりで宗教団体が通行人をつかまえて洗脳してるから気をつけろとマークが言うと、ポーンはカバンから本を取り出して、これのこと?という。まさにその宗教団体に押し売りされたらしく、皆で頭を抱える。

私がシャブシャブを食べたことがないと言ったのがきっかけで、マークが連れていってくれることになり、Victoria Buildingの地下にある『備前』へ。考えてみれば、オーストラリアでオーストラリア人が日本人を日本食の店へ連れていき、こうやって食べるんだなどと食べ方まで教えるなんて変な話。

『備前』ではポーンとマークの議論白熱。ポーンは、世界中で同じ言葉をしゃべれば外国語を勉強する必要がなくなるし、あるいは翻訳者が全ての出版物を訳してしまえば全員が英語や日本語を習う必要がなくなり、その分時間が無駄にならなくていいと言う。マークは、世界の言語や文化が同じだったらそれこそboringだ、異国の文化を知るのは素晴らしいじゃないかと言う。ポーンの屁理屈にさすがのマークも閉口し、Tomoko、ポーンを殴ってやれ!などという。マークほど英語を駆使できないポーンは、議論になったら不利だ。ポーンとの帰り道、話が発展して経済の話になり、私はポーンにeconomyが一番大事なのかと反論してしまった。でもこれは、傲慢だったかもしれない。developping countryとdevelopped countryの問題を改めて考えさせられる。

88/3/9水 晴
帰り、Jacobにお別れを言いにマキが来た。イースターエッグを買ってもらったJacob、かけらをマキにあげ、kiss。マキは小さな歯形のついたチョコレートとkissに感動。今晩はAaronの誕生日前夜祭で、珍しく家族5人が集まって食卓を囲んだ。Aaronはレースに参加するため、明朝キャンベラに発つのだ。滅多に顔を見せないJasonも揃い、(私にとっては)最初で最後の全員集合だった。秘密だよと言われたのにJacobは「Aaronのためにケーキがあるんだよ」と本人に教えてしまい、Mickeyにシーッと怒られていた。今日はDougの料理の日で、トマトソースのスパゲティも柔らかすぎず、ピザもしょっぱすぎず、おいしかった。慣れてきたせいかしら?食後、電灯を消してバースデーケーキの登場。♪Happy Birthday to youと合唱して、Aaron(とJacob)がローソクを吹き消す。なんてpeacefulで家庭的で和やかで暖かみのある光景だろう。偶然にもこんな素敵な場面に同席できて、しみじみよかったと思った。そのうちSamanthaとMichaelも登場。皆ひそかにgiftを用意していた。大人達からはベージュの電気スタンド、Jasonからはキュービックルーブのような頭脳パズル。何にもない私は困って、考えた末Rebeccaのテープ『WILD&HONEY』をあげた。Samanthaは、Aaronはshyだから口に出さないけどあなたのgift喜んでるのよ、あれはniceよと言ってくれた。

男の子達は居間でAussieフットボール観戦、日本のラグビーとはルールが違うようだと言うと、違う種類のラグビーなんだって。

台所ではMickey、Samanthaとおしゃべり。Samanthaには、日本の大学生が勉強のプレッシャーで自殺するってほんと?とか、電車で人を押すのってほんと?とか、日本では高齢(若者でない)大学入学者に冷たいのか?などきかれた。自殺の話は誇張だと思うけど、あとのは本当と答えた。私は、街中で良く見た入れ墨のことについてや高校の進学率について尋ねた。Samanthaは、入れ墨したりするのは低い階級の人達よ、皆がしてる訳じゃないわと言った。

このようなおしゃべりがもっとできたらよかったのにと、去ろうとしている時になって思う。英語がうまく使えなくても、怒らせることはないし、もっと機会を活用して積極的にしゃべるべきだった。

88/3/10木 晴
なぜかはじまりが9:30になったので、朝のひとときをハイドパークでゆったり過ごす。今日は英語の授業ではなく、自分達の言語の授業。いつも教える側のマークは、皆と一緒に生徒になる。ポーンは日ごろのうらみとばかり、マークに何度も練習させ発音がうまくないと言っては椅子を蹴っ飛ばし、よくできる人には「100% correct!」と言ってマークの真似をし、皆を笑わせた。ドイツ語には男性名詞、女性名詞のほかに中性名詞まであるのだそうだ。

午前中の最後は、2階の談話室でElizabeth St.の学校の先生と生徒一同集まり、term修了者へのcertificate授与式。BobやAnnのクラスは3-4人なのに、マークのクラスはススム、ルジータ、タカシ、ソラサク、ポーン、ピアをのぞいた10人が卒業。

午後はAnnのクラスと一緒にRose Bayへ行ってボート遊び。バスに乗ってると10セント玉が置いてあったので、マークが取っちゃえと言う。日本語でネコババって言うのよというと、英語では「拾うが勝ち」だそうだ。7人乗りのボートを2台、1時間だけ借りる。湾を横切って対岸のビーチへ。サメ予防の網があり、その中で泳いだり、船着場から海へ飛び込んだり。水はきれいとはいえない。10分程遊んでRose Bayへ戻る。天気はいいし気持ち良くて最高。私も少しモーターの舵握らせてもらった。電動が手に伝わってしびれる。方向を保つのが結構難しく、思わぬ方へ行ってしまう。

Rose Bayからバスに乗って、Neilson Pk.へ。腹ごしらえをしてから、海へ飛び込む。波が荒くて下地が砂利で痛かった。大波に飲まれて水中に投げ出され、マキと水中でぶつかってしまい大笑い。

ビーチで遊んだ後はcityへ戻ってpizza hutでピザを食べ、KingsHeadへ。ここはEFLラボの先生のたまり場らしく、モニターの幼顔のPaulが恋人を連れて来ていた。

88/3/11金 晴
荷物を詰め、明朝発つので、ちりとりとほうきを借りて簡単に部屋を掃除した。午後は買い物に外に出る。その前にカメラ屋さんへ。修理にA$70もかかるというのでやめたのだけれど、昨日の受け取り時間に間に合わず今日受け取りとなったのだ。行くとあと1時間待つように言われ、暑い中行く所もなくハイドパークで時間をつぶす。Quote Charge(ひきとめ料)にA$10もとられ、口惜しい思い。B.J.へ帰ってディスカウントショップで枕とカバン、乾電池を買い、一度家へ帰った。枕はこれからのバス旅行用だ。QLD州への往復のバスの中で、枕を持参している人を見かけたのだ。軽くてふかふかして小さくつぶせる手ごろな枕がA$5位で見つかった。この枕に皆の名前を書いてもらうことを思いつき、まず初めに、家に来ていたMickeyの母親JoeとMickeyに書いてもらう。Jacobにもペンを渡しおそるおそる枕を向けると、丸を描いた。もっと描こうとするのを止めて、Dougに渡す。DougはJacobの描いた丸の中に目鼻をつけ足して顔にしてくれた。

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ハイドパーク入口で1ヶ月以上地面にパステル画を描いていたお兄さん。オーストラリア大陸の形の枠の中に白人、アボリジニ、東洋系、様々の人種が上を見上げている

19時からはKingsHeadで学校のfarewell party。8時頃から皆ぱらぱらと集まってきた。私は顔なじみの人の間をまわり、枕にサインしてもらった。バーバラはフランス人のJoliにくどかれていて、1人残された相棒のピリはさびしそう。

飲んで歌って踊っておしゃべりして、大騒ぎ。トレードマークのひげをそり落としたRajeshが登場、センセーションを巻き起こす。ショックな出来事があったらしい。失恋でもしたか!?私は、枕にサインしてもらうという事を通じて、顔なじみ以外の人とも笑顔が交わせて満足。0:00にお開き。2次会はOxford St.のカッカドゥー(ディスコ)へ。ハイドパークをバーバラ、ピリ、ジョリと4人で歩いていたが、ジョリは、僕の星は君だなどと言って、バーバラを口説いている。ディスコの入口には受付の若者が数人いて、お金を払う。日本のように仰々しくないし、おしゃれもしていない。枕を抱えていたら、寝るんならまた別料金よとjoke言われてしまう。金曜の夜だけあって混雑。でも曲は単調で面白くない。音がうるさくて話もできず、疲れた。これで最後のお別れだと思うと去り難く、でも翌朝出発が早いからと店を出た。タクシーで帰る。今日の仕事はこれで終わりとドライバー。相乗りだったのでその人のためEdge Cliffまで遠回り。

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