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88/3/12土 南半球で聞く炭坑節 バスでcityへ戻る。コモンウェルス公園の有名な噴水を見たくて時間内に着いたのに、ちょろちょろとあがってる程度であれがうわさのジェット噴水とは思われない。残念。コモンウェルス公園はキャンベラ・フェスティバルのメイン会場のようで、出店や展示が沢山あった。中央の会場では空手の演技を行っていた。お辞儀したりハッヤッなどの掛け声あったり、なんだか懐かしい。 |
88/3/13日 曇一時雨
警察へ行く
金曜日ではなかったけれどオーストラリア滞在中最悪の日となったこの日。朝7:30にメルボルンに着いた。どういうわけか、どこの安宿も満室。あちこち探すうちに、セントキルダビーチ付近まで来てしまった。紹介されてきたのにそこも満室。せっかく海の近くまで来たから、南極へつながっている海を一目見てから街へ戻ろうと海岸へ出た。人通りがあるしちょっとなら大丈夫だろうと、大きなカバンを2つ芝生の上に置いて桟橋の先の方まで行ってみた。2-30分して戻ってくると荷物はあとかたもない。ショック、ショック、ショック!!青くなって周りの人に聞いてみるが、それらしい荷物も人もみなかったという。観念して警察へ行くことにした。人に聞きながら4-50分も歩き、一番近くの警察Victoria
Policeへ。事情を話すと女性の警察官が調書を取ってくれた。気を落としている2人を気遣って明るく話しかけてくれ、少し救われる思いだった。「あそこは風紀の一番悪いところなの。」「この国は好き?」「ええ…でもこの事件にちょっとショックを受けてます。」調書の写しを渡して、「これは薄いけどちゃんと有効だから大丈夫よ」と親切に教えてくれた。
トラムで街へ戻る。エリザベスSt.を歩いていると、3月4日に別れた先輩達とばったり会った。2人が飛行機で知り合ったという力田さんも一緒に、5人で宿探し。Hawke
St.のMiami Motor Inn(13 Hawke St. West Melbourne phone:329-8499)に決めた。B.B.でツイン1泊A$16.50。身一つになってしまった私たち、着替えを買いたくても、ちょうどムーンバMoomba祭の最中で店は休み。セントキルダへ行く途中見つけたセブンイレブンまで行ってみたが、衣料品はナシ。Cityへ戻るトラムを待つ間、2人とも力なく無言。3月(夏の終わり)とは思えない程、冷たい風がピューピューと吹いてきて惨めで泣きたくなる。『人間寒くてひもじいと死にたい気分になる』ということを二人同時に思い浮かべていた。誰のせいでもなく自分達のミスとわかっているだけに手痛い。口をついて出るのは、「xxしなければよかった」ばかり。いいかげん立ち直ろうと、身軽になっていいだの、貴重品入ってなくてよかっただのと強がりを言い合ったが効果なし。それでも、知り合いに会えて村瀬さんのおしゃべりにはずいぶん救われた。5人でチャイナタウンへ行き、ラーメンを食べて暖まった。
セントポール教会前のトラムの停車場に私の袋と同じのを持った人を見かけ、どうしようと迷ったけれど、失礼を承知で聞いてみた。やはり思い違いで、その人にはとても悪いことをした。中国系か東南アジア系の人。白人だったら聞いただろうか。私にも根強い偏見があるのだろうか。何度も謝ったが、当然怒っていたようだった。でも何事もなく済んで良かった…。
念のためと入っていた保険のしおりをめくる。ムーンバ祭で翌日も休みだと困ってしまう。どうしようもなく落ち込んで、眠りにつく。
88/3/14月
曇のちどしゃ降りのち曇 地獄から天国へ
朝起きると空はどんより。天気までが陰鬱な気分を誘う。荷物のないのがまた悲しくなってくる。朝食はまともで良かった。いくつか選べて、私はフルーツジュース、トースト2枚、ソーセージ&トマト&卵、コーヒー。お腹ふくれた。眉間にしわ寄せてたおばさんのところへ相席して気まずかったが、スクランブルじゃないから私はいらない、と卵をくれた。人は外見で判断しちゃいけない。
店が開くのを待って部屋でごろごろ。体調は崩れるわどしゃ降りになるわで、あまりの惨めさに2人で笑ってしまった。アンニュイ。
10時頃外へ出てみたら、パレードの最中。人だかりはすごいけど、パレード自体はそう大したことはない。パレードの切れ目を探したが、延々と続いていて歩道橋も地下道もなく、向こう側に渡れない。とりあえず滞在場所を警察に知らせておこうと電話ボックスへ。6ヵ所もまわったがどれも通じない。4つは硬貨が入らず、1つは20セントしか受け付けず、もうひとつは途中で硬貨が詰まって出すにも出せず。悪いことは重なるもんだとイライラうんざり。でも後で見てると他の人はちゃんと使ってるようなので、休日用のかけ方ってあるのかしら?ようやくアーケード内にゴールドホーンをみつけて、Victoria
Policeへかけた。昨日事情聴取してくれたAnnがいないと言うので伝言を頼もうとしたら、あなたは昨日カバン失くした人?と聞かれ、かばんが見つかったと言う。プレインとかタラマリンとか言うので最初意味がわからなかったが、よく聞くとメルボルンの空港(タラマリン空港という)のアンセットのところにあるという。本当?荷物の運命がかかっているのである。うやむやにはできない。空港のAnsettへ行けばもらえるんですね?と念を押す。"Yes."
よくわからないときは、自分で理解したことを口に出して相手にYes/Noを聞くのが一番確かだとこの時学んだ。電話を切り、マキに振りかえり「あったって!」思わず2人で抱き合い、涙を流して喜んだ。まさに、狂喜乱舞。あまりにはしゃいでいたので通り掛かりのおじさんに、「誰か死んだの?」とからかわれた。マキ「We're
very happy!」人ごみかきわけ、バスに乗って空港へ。片道30分。胸の辺りが苦しくて息ができない。早く実物をみたい。疑心暗鬼で、また失望させられるんじゃないかと不安でいる。
空港へ着くとなぜか荷物はアデレード空港へ行ってしまったとのこと。あることはあるらしいけど、やはりすぐには手に入らなくて気が抜けた。帰りのバスは2人疲れて寝てしまった。乗ってきたバスと同じだったので、運転手のおじさんに「君達さっき来たのにまた行くの?」と言われた。誰もいなかったので、special
ticketにしてあげる、とA$6を半額にしてくれた。なんだか運が向いてきそうな…。
今日は祭りで店は休みだし雨降ってるし、電話つながらないし、20セント帰ってこないし、全て裏目に出る、不運続きだと思っていたが、洋服を買ってしまわないで良かった。余計な荷物になるところだった。午後はマキと別れてお互い単独行動。昨日の盗難からずっと息つく間なく、1人になってほっとした。荷物を置いていこうと言ったのは私だし、責任を感じていたから。
寒いし、噂ほどきれいではないし、ガラ悪い人多いし(パブの近くを通ったら、come
onと呼ばれたり、車に乗った若者がひやかしの声あげたり、今までにそういうことは無かった)、この街の印象はとても悪い。荷物さえあったらもっと楽しめたのに。お祭りの時期に来たのも運が悪かった。普段なら楽しめるが、落ち込んでいる時のお祭り騒ぎは、うるさくてわずらわしいだけ。他の人が楽しんでいるのが恨めしくさえ思える。でも、荷物も見つかったことだし、これからはこの街の良いところを見つけるぞと気持ちを新たにする。古本屋をのぞいたり、野外画廊を見て周ったり。アマチュア芸術家の展覧会らしい。ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父もどきの絵があって思わず笑ってしまった題は"runnning
eyes"。隣りのフィッツロイ庭園へ行き、キャプテンクックの生家という小屋を外から眺めた。きれいな公園だ。ミニチュアの村の模型もある。ここで休憩して日記を書いたりした。やっと心に余裕が出てきた。
西へ歩き、カールトン庭園を通ってフラッグスタッフ公園へと来た。ここからはメルボルンの港が見える。肥料にするのか芝生のあちこちに糞が散らばっていて、ちょっと歩きづらかった。スペンサー駅前を通り、街の中心シティ
スクウェアへ。ここの待合所にはふっかふかのでも汚れたソファーが沢山置いてあって、足の疲れた旅人には好適の休憩所だ。
夕食は、Swanston St.のClassic Restaurantに入った。おばさんがつかつかとやってきて、がなりたてるように、注文は?Tell
me!と叫ぶ。脅されているような気分だ。イタリア人かな。Four seasonsというピザ頼んだ。チーズ、トマトソース、サラミハム、ピーマン、マッシュルーム入り。Capsieurって何だ。ラテン語系のような…。"Is
that all?"も"Anything else?"
もきかない。何も言わずにナプキンもしかず手に掴んでたナイフとフォークを通りすがりに突然置いて行く。とにかく威勢がいい。不親切なのではない。やはりラテン系だろうなあ。なぜか伝票が2枚来た。20セント安く書いてあるA$6.00の方を出した。モーテルへ戻って、屋根の上にあがる花火を見た。日本製かしら。きれい。
88/3/15火 曇時々雨
ぼくらはみんな生きている
力田さんを除く全員がメルボルンを発つ日となり、私達はショルダーバッグ一つでチェックアウト。昨日部屋を移される時、荷物はそれだけか!?と驚かれた。
メルボルンの市場、ビクトリアマーケットを皆で見学。屋内ではないが屋根つき。色とりどりの果物が新鮮でおいしそう。村瀬さんたちはお土産用にテンガロンハットを買っていた。マーケットを出て皆と別れ、私は先輩達お勧めの動物園Royal
Melbourne Zoological Gardenへ。
オープン エア
システムとかで、檻とコンクリートの壁が殆どない。そのせいか、のびのびしてるように見え、シドニーのタロンガzooより良かった。2時間程で全部見て周った。オットセイ(?アシカ?)の餌付けを見た。係員の投げる魚をうまく口でキャッチ。噛まずにするすると飲みこんじゃってもったいないなあ。コアラはここでも相変わらず不動のナマケモノ。動かなくて面白くない。いろいろな種類の小型のサル園は、見たことないのやかわいい子猿もいて楽しい。世界でも稀と言われる蝶の温室もあり、きれいだった。扉が2重になってるだけだけど、逃げたりしないのだろうか?鳥が放し飼いされている巨大なガラスハウスもあり、またカンガルーなどいる中を人が道に沿って歩いたり、ここでは動物のいる所に人間がお邪魔するという形だ。車の中から見るサファリパークとも違う。動物と自分との間に檻や柵やガラスの壁などの何の隔たりもなく、同じ大地に同じ空気を吸って立っていると、これらの動物がテレビや本の中だけでなく、本当の生き物なのだと実感することができるし、地球に住む同列の生き物同士であるという気持ちが生まれてくる。子供だけでなく大人にも是非お勧めしたい場所だ。
動物園を出て、トラムで南の方へ。ヤラ川を渡り、戦争記念館近くで降りた。慰霊堂の地下は神聖そうな所。上へ上ると街が見渡せた。広大な王立植物園をてくてく歩き(広い上にあまり標示がないので入口の地図を写していった。そうじゃないと迷っちゃう)、河畔に出て、週末は賑わうであろうBBQ用の鉄板の並ぶ川べりを北へ歩いて行った。ヤラ川はきれいな川ではないが、市民の憩いの場所なのだろう。
夕食はまたClassic RestaurantでラザニアA$4.60。ここは安いのにボリュームがあってしかもおいしい。
シドニーの線路の脇でよく見た落書きがメルボルンでは街なかの壁いっぱいにあった。スプレーを使った色鮮やかなので皆似たような文字柄とデザイン。いろんな色がミックスして光沢に星が輝いてる。つやつやつるりんとしてきれい。写真におさめてる人も見た。カメラがあったら私も撮りたかったけど。
マキと22:15の夜行バスに乗ってAdelaideへ出発。
88/3/16水 快晴
再会
ふと目を覚ますと目の前に夜景が広がっていた。まだ夜明け前で、山の上からアデレード市街の夜景を見渡しているのだった。あんまりきれいなので一人で見るのはもったいなくて、よく眠っていたマキを起こしてしまった。輝いている。荷物が待ちうけている待望のアデレードだ。7:00定刻に到着。外へ出ると風がものすごく冷たく、凍える思い。Hilton
Hotel前のボーイ役のおじさん、ニコニコしてて愛想がよいので、空港行きのバスはどこから出るんでしょう?ときいたら親切に教えてくれた。待ち時間のあいだ、ビクトリア広場前の喫茶店で朝食。クロワッサンのおいしいこと!油っぽすぎず、しょっぱくなく、ふかふかして熱くて、寒さに震える私達にはごちそうだった。2人でしみじみする。Hiltonの前からバスに乗り、空港へ。Claim
bagの所へ行くと全て説明しないうちにカバンが2つ目の前にパッと出てきた。キャー!と感激しThank
youを繰り返して急いで中身を確認。私が入れていた現金以外は、全て無事。良かったあ。中にVictoria警察からの手紙が入っていた。Claim
bagの係の話では、私の苗字に似たような名前の男性の荷物だと言われたそうで、話がちゃんと伝わっていないようだった。
再びcityへ戻り、セントラルマーケット向かいのThe Metropolitan Hotel(46 Grote St. phone:51-5471)に宿を決める。部屋の清掃が終わっていなくて、部屋は散らかっていた。前泊者は日本人だったようだ。ひどい汚し方。シャワーを浴びて休息して街へ出る。Hotel前の横断歩道がペンキ塗り立てだった。よく見えず足跡をつけてしまった。 今日も別行動。歩行者天国は人で賑わっている。街は文字通り緑に囲まれているから、どこを歩いても必ず緑に行き着く。RYMILL
Parkという池のある公園でベンチに座って昼食。のどかー。子連れのおばさんに時間聞かれた。英語の授業のおかげで、quarter
past…などすらすら出てきて嬉しい。 当てにしていた店がもう閉まっていたので、夕食は24時間営業のThe Pancake Kitchenへ。ハインドリー St.とキングウィリアムSt.の角の少し奥にある。内装は少し暗くてアンティーク。入ってうろうろしてたら、ウェートレスのお姉さんまるで旧知の親友のように、"Hi"と声かけてくれた。メニューを読んでもよくわからないまま、Jewish Blintzを頼んだ。Muddled Lemonは単なるレモンジュースだけど、さっぱりしてgood。 |
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88/3/17木 快晴
悠久
マキと2人でカンガルー島へ行く。バスでケープジャービスに向かい、フェリーで30分ほど。フェリーは大揺れ。乗り物に強いはずの私も船酔い。ペネショーPenneshawの海岸に着くと、フェリーから降りた他の客は皆、出迎えの車でさっさといなくなってしまった。辺りを見渡しても人家らしきものも無い。カンガルー島へ行けば島を一周するバスかツアーがあるだろうと考えたのがそもそもの間違いだった。ツアーはアデレードの街から出発するようだ。そして今日はたまたまツアーのない日だった。仕方なく、島の中央まで行くというマイクロバスに収容される。ここまででバスにA$7、フェリーにA$22払い、げんなりしていたのにこの上A$9かかると言うが、他にどうしようもなく。港から少し上るとスーパーらしきよろず屋さんが一軒あった。マキと相談し、島の中央に行くのはやはりやめにして、ここで降りることにした。見所は島のあちこちに散らばっているので、往復A$18も出して島の中央まで行っても仕方がない。キャンセルしてもおばさんは別に気を悪くした風もなく、返金してくれた。
海岸に出ると、そのあまりの美しさに言葉を失う。遠浅で水が透明でそして何より人が全然いない。2人で嬉しくなってはしゃいでしまった。ねっころがって手紙書いたり、日がな1日ただぼーっとして過ごした。そのうち人がぽつりぽつり現れたが、殆ど2人で占領。ここまで高額な交通費を払ったけれど、まあ、いいやという気になってきた。本当ならカンガルーやオットセイ、コアラなど見所いっぱいの島なんだろうなあ。でも誰もいない何も動かない(動いているのは波とカモメだけ)ひっそりと静かでただ陽の光がふりそそぐだけの美しい浜でのんびりしていると、俗世間から完全に離れて、天国にいるようだ。
浜の唯一の観光ポイントは、浜の端にぽつんとある『フランス人の岩』。昔、フランス人が流れ着いたとこらしい。
帰りのフェリーはまた揺れたけど、今度は、外の甲板で座ってむしろ揺れを楽しんだ。心地よい。帰りのバスからはまたアデレード市街の夜景が見えた。街へ戻ると、もうどの店も閉まっている。仕方なくまた昨日のパンケーキ屋へ。今日のは、白ワイン入りマッシュルームソースがけパンケーキ。お腹がすいていたので一口目はおいしかったが、次第に飽きてしまった。
夜中に廊下で声高に議論していた日本人の男の子達、どうも部屋の料金の手違いのことでフロントに交渉しに行くかどうするかで揉めているらしい。大勢いるんだから皆で協力すればよさそうなものを、大勢だからかえって言い出しにくいのか、誰も行こうと言い出さない。ついには廊下を通りかかった日本人の女の子に頼み込んだようだった。
88/3/18金
快晴(猛暑) 木陰でお昼寝
朝、向かいのセントラルマーケットに寄った。果物は新鮮、パイやお菓子も安くておいしそう。洗剤を買ってコインランドリーで洗濯してからチェックアウト。かばんをデラックスへ預ける。STA(State
Transport Authority:バス会社)センターでバスの時刻表をもらってマキと別れ、ブリスコスのバスでドイツ移民の町、ハーンドルフへ。山道を登っていく。暑くてだるくてバスの中でぐったり。1時間弱で到着。中世の香りを満喫できるかと思ったが、のどかで少し古いかなという家並みがあるだけ。ちょっと期待外れ。あんまり疲れていたので木陰で休憩。風通しよくて涼しかったので、気持ち良くて本当に眠り込んでしまった。通り掛かりのおばさんが心配して、Are
you all right?と起こしてくれた。少し寝たらすっきり。そこに座り込んで手紙を書き、少し街を見て16時のバスで帰った。
ブリスベン、シドニー、メルボルンと必ず歩いて周ったボタニックガーデン。アデレードでもさーっとひとめぐりした。アデレード芸術祭の催し物も2つほどここであったようで、それさえなければ人などまるでみない閑散として静かな所。きれいな水鳥もいた。トレンズ川の方へ歩くと、Victoria
DriveとFrome Rd.の角の信号操作装置にはり紙のあるのが見えた。昔の大日本帝国時代の朝日のような国旗の下に、NO
JAPANESE CITY FOR ADELAIDE! VOTE MICHAEL ??? UNDER ?? Action.とある。日本人排斥なのか日本企業・日本政府の批判なのかわからないけど、歓迎の文でないことは確かだ。
市民の憩いの場となっているトレンズ川沿いはとてもきれい。そびえたつゴシック建築は、セントピーターズ教会。ライト展望台へものぼった。アデレードオーバルのVictoria
gate前のバラ園がとてもきれいで長々とみとれていた。クリーム色、紫の小花、真紅、ピンクのバラ、シドニーのもメルボルンのもキャンベラの国会議事堂のもアデレードのボタニックガーデンのもバラ園はどこもきれいだったけど、ここのが一番素敵。去り難く、何度も振り返って眺めた。
バスターミナルでシャワーを浴び、荷物整理して、マキと落ち合い、21:45北へ向けて出発する。アデレードの夜景を3回も見れたのはラッキーだった。アデレードは良い思い出ばかりで街もきれいだし、好印象を持った。長く滞在するにはいいだろう。文字通り緑に囲まれた都市なんて、うらやましい。Victoria
Square近くのビルは、夜になるとイルミネーションできらきらしていた。噴水もとてもきれい。
ただ酔っ払いや浮浪者が多く、美しいこの街でも社会問題は現存してるのだと実感させられた。
88/3/19土 晴
悲しい水彩画
見渡す限り地面のほか何もないところを走っていたが、遠くに建物の集まりがぽつんと見えた。それがクーバー
ピディCoober Pedy(アボリジニの言葉で白人達のもぐる穴の意味)。朝7時に到着。停車したのは、地面がこんもり盛り上がったようなYH。オパールを掘った後の穴をそのまま部屋にして、生活している。外に出ると小さなハエがいっぱいたかってきてうっとおしい。牛のように、頭振り回し足を踏み鳴らす。
バスはただ北へ北へと走る。話に聞くとおり、土が赤い。所々に低い潅木が生え、前面180度は地平線が見える。さえぎるものはビルも山も谷も何もない。バスの後ろは見えないけれど360度地平線が見えるのだろう。そして在るのはただ赤い平原だけ。
お昼に休憩した地点でAyers Rockへ直行するマキとはお別れ。ここでのハエは一番ひどくてまいった。手を動かしどおし。顔にさえ来なければそんなに気にならないのに。やはり水分求めて飛んでくるのだろうか。
アリス スプリングスAlice Springsへは15:15着。土曜なので店は休み。街の入り口の木の周りにアボリジニが集まって寝転がっていた。異様な光景だった。ピクニックというわけでもないだろうに。皆一様に汚れた格好をしている。それが風習なのか生活の知恵なのかそれとも貧富の差なのか。何を生業としているのだろう。彼らの外見は、顔つきも体格もアフリカ系黒人やポリネシア人などとは違うようにみえる。閉店してがらんとした商店街を時折アボリジニの子供達や大人達が数人で群れて歩いている。突然大きな声を出すから驚いてしまう。別に怒ったり威嚇したりしているようでもないのだが、その声にはドキンとする。
アリスのYHに着くと、女性用ベッドの空きは3個、私は3番目でぎりぎりだった。前の2人も日本人。受付の質問もわからずに困っているようだったので、「xxって言ってるんだよ」と後ろからおせっかいをした。なかたさんとつえださん、京都の看護学生だそうだ。
小高い丘、アンザックヒルへ登ってみた。ほんの3-4分で頂上に着く。頂上は強風が吹き荒れているが、確かに眺めは良い。
アリスの街は案外きれいに整備されている。近代的なショッピングセンターもあるし、モール街もある。
YHに戻ると、なかたさんつえださんがお料理していた。わりと本格的。牛肉のステーキにご飯にタマネギの炒め物。ご飯やお肉までおすそわけしてもらっちゃった。とてもおいしかった。ご飯は日本からわざわざ持って来たそうで、さすがに日本のお米はおいしいと実感。
食後入口に座っているとアボリジニのおじいさんがやって来て、無言で皆に絵を見せて回っていた。薄い色彩の水彩画。皆首を横に振る。英語が通じないのか忍耐強いのか、なかなか立ち去らない。なんだか憐れ。
YHにはキャビンがいくつかあって、中は清潔。天井に扇風機もあって涼しい。快適。
88/3/20日 晴
バッタも泳ぐ
YHのdutyはトイレ掃除だった。なかたさん達と同じ所で、私は大してやらずに終わり。7:45にダブルデッカーでユララへ出発。隣はスウェーデン女性。初め、つんとしてるのかとおもったが、そうではなかった。一人旅している人で、話のできない人などあまりいない。私はあいかわらずのpoor
Englishで言ってる事の半分もわからないのが情けない。
9:30頃Camel Outback Safariで休憩。白人の観光会社が観光客を連れてきてアボリジニがお客をラクダにのせて囲いの中を一周する。さめた感じのラクダ達とアボリジニ。なんだかむなしい光景だ。
ウルル国立公園へは入場料を一人A$1.5とられる。
どこかの休憩所でおやつにまたスコーンが出た。白人の老夫婦と相席になり、スコーンにクリームだけつけて食べていると、老婦人「イチゴジャムもこうやってつけて食べるとおいしいのよ。日本にはイチゴジャムないの?」と親切にも話しかけてくれる。「イイエ、日本でもいろいろつけて食べますよ」。
車窓から見える色彩はとてもあざやか。真っ赤というより朱色の砂地にきれいな緑。とても印象的。お昼頃、左手の方に平らな山が見えてきた。エアーズロックかと思ったが、コナ山だった。ドライバーが右手にrubber
tree(ゴムの木)が見えると言う。木の枝にタイヤが多数かかっていた。熱でburstしてしまったものだろうか。遠くに竜巻も見える。車内は快適だけれど、外に出ると厳しい自然は現実のものと実感する。赤い土はとても細かくさらさらして、靴が赤く染まってしまう。
13:00頃今度こそエアーズロックが見えてきた。ぼたもちがくずれたような形。コナ山の方が格好いい。エアーズロックロッジに着くと受付には長蛇の列。予約していなかった人は断られたそうだ。私はマキに頼んでおいてよかった。受付のお姉さん、日本語お上手。マキとは同じ部屋。再会して、一緒にマウントオルガとエアーズロックのサンセットツアーに出かけた。マキはコアラパス(サンセットツアーにただで参加できる)ではなかったのに、乗車のときによく調べられもせず、追加料金を払わずに通してくれた。
車外へ出ると本当に暑くてすぐにのどが乾く。バスには冷水を入れたタンクが積まれていて、外から戻るたびに、乗客にコップ1杯ずつの配給がある。その水の冷たくて美味しいこと!こういう所だといかに水が貴重かがわかる。マキが空のコップを落としたら、ドライバーが「(貴重な水をこぼすなんて)オマエはなんて事をするんだ!」と怒るふりをして、笑いながらマキの体をつついた。Aussieはどこでも陽気だ。
日没直前に岩が真っ赤に染まるというのだけれど、いつが日没かよくわからないうちに、なんとなく暗くなってしまった。夕日のエアーズロックより日没後の方が幻想的できれいだ。そして、エアーズロックより、後ろを振り返ると見えるマウントオルガの大平原の方がきれい。どこを見渡しても平らで地平線をさえぎる山脈がないなんて、日本では考えられない。
帰りは、Four Seasonsで降りてショッピングセンターに寄り、買い物をしてからマキと2人満天の星の下、歩いてロッジへ戻った。静寂な暗闇にいて、気持ち良くて星がきれいで、胸がじーんとする夜。マキは、もうすぐ帰国だとしょんぼりしていた。2人の最後の夜だからとフルーツをいっぱい買いこんで、フルーツパーティをした。バナナ,りんご、オレンジ、梨、メロン、黄桃、プラム。
食後プールで泳いだ。先客のカップルは、私達が邪魔だったのかすぐいなくなり、2人で占有。きれいな水で、星空を眺めながらゆったりと泳ぎ、豪華な気分。バッタがプールに飛び込んでくる。何度陸に戻してもまた飛び込んでくる。バッタも暑いのだろうか?マキは、エアーズロック登岩の疲れか、両足ともつってしまった。気持ちのいい晩だった。
88/3/21月 晴
大陸のヘソに立つ
6:50エアーズロック登岩ツアーに出発。日陰なので暑くはなかったけれど、斜面の急なこと!初めは鎖づたいにまっすぐ登るけれど、あまり急なのでふくらはぎが痛くなってくる。風が強いと、これでは本当に転落してしまいそう。足場は悪いのに防護壁や柵は一切ない。登り口の横に、転落して亡くなった人の碑がいくつかあった。30分程で頂上に到着。時間にすれば短いけれど、かなり疲れた。久しぶりに運動して、終わってみるとすがすがしい。心臓をどきどきさせるってやはりいい気持ち。見渡すと360°地平線が見える。ずっと果てまでまっ平ら。ユララ方面には山は見えないけど、その反対側のコナ山からオルガまでは、低いながら一重だけれど起伏がある。一体何km四方なんだろう。人が平地で立っていると4kmまで見えるというけれど。
今日からはまた一人、おっちょこちょいだから気をつけないと、とここで気を引き締める。
頂上からの帰りも30分程。前につんのめらないように足を突っ張るので、膝が笑う。エアーズロック登岩の後は、岩の周りを一周したり、昔アボリジニが描いたという遺跡の壁画を見たり、泉を見たり。暑いところにいちいち出なければいけないのが面倒。ツアー中、野生のディンゴ(イヌ科の仲間?狼みたい)を見た。
昼頃ロッジに戻り、アリススプリングスへ。そのまま夜行バスに乗って一気に東海岸へ出る。一足先にアリスへ戻っていたマキが、見送りに来てくれていた。食料を買いこみ、19:10に夕暮れのアリスを出発。通路をはさんだ隣は太った若い男性と日本男児。私は2人席を独り占めできて楽々。後で気がついたけど、席の配置は男女別れるようにしてくれていたみたい。おかげで旅の間中窮屈な思いは殆どしなかった。今日は、エアーズロックツアーへ、アリスへ、これから夜行と一日中バスに乗っている。明日も夕方タウンズビルに着くまでずっと車中の人だ。
88/3/22火 晴
塔の部屋
途中休憩した所では、裏庭にカンガルーが放し飼いされていて、私もchipsをもらって餌をあげた。ちっとも動かないコアラよりカンガルーの方がまだ面白い。
真夜中に分岐点のテナントクリーク到着。1時間弱ほど停車。ここで、南のアデレード行きと北のダーウィン行きと東のブリスベン行きのバスが集合し、それぞれ乗り換えしたらまた三方に別れて行く。私は東行きのバスに乗り換えた。席は変わらず6B。隣もいなくてよく眠れた。
朝食の停車は、銅山で有名なマウントアイザ。ところがここで3時間のロス。バスに故障があったらしい。いつになったら出発できるのかわからずに皆イライラ。タウンズビルの宿の予約をしていないので、マキを通じて顔見知りになった東北大の院生と一緒に電話してBackpackers
Internationalを予約してもらった。
昼食に寄るはずだったリッチモンドは夕方着。夕方だというのに暑くて、席もないし、外の木のそばに座って夕食。小さなのどかな街だ。家は高床式が多い。相当暑いのだろうと思う。長――――い貨物列車が踏み切りを通り、待ちぼうけ。ゆっくり走っている上に、果てしなく長いので5分位待たされただろうか?
何時間も単調な風景が続いている。どこまでいっても平らな大草原。空はうろこ雲。『母を訪ねて三千里』のアニメのオープニングを思い出させるような景色だ。♪はるか草原にひとつかみの雲があてもなくさまよい飛んでゆく…。アリスあたりの砂漠と違うのは、土の色。まだあそこまでは乾ききっていない感じで何とか生物か生きられそうな、そんな色。1日中バスの中で、マキもいないし一人で座っているし、殆ど誰ともコミュニケーションなしで少し退屈した。
3時間遅れで22:30にタウンズビルに到着。ターミナルのまん前がBackpackers
International(205Flinders St. East phone:72-4340)で、重い荷物をひきずらずにすんで良かった。日本人は隔離されているんだか、本棟とは離れた細い階段を沢山のぼった塔まで連れて行かれた。3部屋に2段ベッドが2台ずつ。私は真ん中の部屋へ。既にいた人達は、イギリス人1人を除いて3人とも日本人。初めてmixed
room(男女相部屋)で、ちょっとドキドキ。相部屋と言っても、ドアはないが部屋はいくつかに仕切られていて、皆気遣って私に一部屋分あててくれた。外観はそんなによくないけど、中は清潔でベッドもきれい。高いところにあるから夜景もきれい。ちょっと得した気分。DutyなくてA$8.5は安い。イギリス人のマイケルに、君の英語はオーストラリア英語だと言われてショック。アメリカ英語のつもりでいるのに。3人のうちの1人は、高校卒業したての18歳だって。若い!翌朝早いと言うので、目覚まし時計を貸してあげた。
88/3/23水 晴
偶然の再会
愛用の辞書をバスの中に置き忘れてしまったことに気づいて、朝からがっくり…。
隣の部屋のクニ君が、朝食に作ったボルシチシチューをおすそ分けしてくれた。肉やジャガイモも入っていておいしい。クニ君は、高校卒業後3年間アルバイトしてお金をためてオーストラリアに来た。タウンズビルは、街としては一番気に入っている所だそうだ。離れのあの部屋は、寝ながら夜景も見えるし、ずっと住みたいと言っていた。さわやかで礼儀正しい好青年。夢はダイバーのライセンスをとってプロのダイバーになること。一緒にボルシチをご馳走になったのは、中央大法学部の頭でっかちの大学生。日本人は英語をうまく話せないからまだいいけれど、経済摩擦がある上、英語までペラペラ話せちゃったら外国に本気で叩かれるよ、と一生懸命主張していた。
重くて持ち運びに邪魔な資料を家へ送ってしまおうと、袋に詰めて郵便局に出すことにした。まずは、辞書を探しにデラックス社のオフィスへ。今度こそ見つからないだろうと思っていたが、すんなり見つかってラッキー。郵便局へ向かって歩いていると、前からくる白人男性の2人に「トモコ」と声かけられ、誰かといぶかしがると、トムとカールだった。2月20日にシドニーで別れて以来1ヶ月ぶりの再会。もう今ごろはケアンズの北の方まで行ってしまって二度と会えないだろうと思っていたのに!トムはうっすらとあった口ひげはさっぱりないし、髪も坊ちゃんカットで若返っちゃった。2人は日帰りでマグネティック島へ行くと言う。じゃあ戻ってきたら夕食後にまた会いましょうと一旦別れたが、私も明日マグネティック島に行くつもりだったので、一緒に行くことにした。急いで郵便局へ小包を出しに行く。局留めで私宛に手紙が来ていて、更にhappy気分。有頂天になって、信号の変わるのももどかしく、宿の201段の階段をかけのぼり、支度をしてまた駆け下りた。ベランダからは、私の好きなAmericaのSister Golden Hairが流れていて、まるで映画のヒロインにでもなったような気分だ。
マグネティック島に着いてさてどうしよう、と3人で地図を広げていると、その地図がバックパッカーズの案内図だったので、勘違いした係のお兄さんに宿まで連れていかれてしまった。バス停へ戻り、バスがいったばかりだったので、とりあえずここで昼食にする。ビーチ近くのベンチで食事。海はあまりきれいじゃないけれど、2人はヨウイドン!で奇声をあげながら競争して海へ飛び込む。子供みたい。浜にのんびり寝ていたおじさんが、2人の声に驚いて起こされ、2人を眺めていた。
バスに乗ってシャークワールドへ。オーストラリアで一番大きな水槽というけど、とんでもない誇大宣伝。にごった水の中に海がめとサメがいるだけ。ちょうど餌付けの時間で、ショウというよりお昼ご飯だよーというのどかなもの。ガイドブックには入場料A$2とあったが、とられなかった。そりゃ当然でしょう。バスを待っていると、船で一緒だった日本人の女の子2人が来た。コアラパークに行ってきたそうだ。私達もコアラパークを目指してバスに乗る。山のくねくねした細い道をバスはゴーンと唸り声あげて走る。学校帰りの子供達を収容する時間だからと、バスを乗り換えさせられた。途中のバス停で乗りこんできた東洋人の顔をふと見ると、近所の幼なじみの石浜君だった。お互いにびっくり。オーストラリアに来ていることも当然知らず、こんな小さな島の同じバスに乗り会うなんて、何という偶然。一人旅だそうで、昨晩もマグネティック島に泊まったらしい。これからホースショーの海岸で泳ごうとバスに乗ってきたとのこと。コアラパークへの矢印のある大看板の前で私達はバスを降りた。その矢印に従って歩いて行ったがそれらしきものはちっとも見えてこない。庭に出ていたおじいさんに聞いてみると、あと2kmあると言う。トムはげんなりして、あそこで降りようと言ったのは誰だ、としきりにカールを責めていた。私は、いい運動になっていいわ、と元気に歩いていたけど、ほこりっぽい所を30分も歩き、さすがに疲れ気味。ようやく到着すると、16:00閉園でもう閉まるところだった。うそでしょ〜。港へ戻るバスの最終が16:15に出るというので、また急いで道路の方へ向かう。これがまた砂利道のひどく歩きにくい所で、トムはうんざりといった調子で「確かにgood
exerciseだ!」とぶつぶつ文句を言っている。カールは急がなくてはならないのに、のんきに写真を撮ったり。同じスイス人でも、ドイツ系とラテン系の性格の違いが出るのかしら。ギリギリで間に合ったバスには、石浜君が乗っていた。泳ぐのはやめたそうで。
それにしても今日は、トムとカールに石浜君と、偶然の再会が2度もあった。シドニーでカコちゃんやルイーザに会ったのもあわせると、4回も偶然の再会をしている。オーストラリア大陸は広くても、旅人の行動範囲は案外狭いということか。
タウンズビルに戻り、私が夕食を一緒に食べようというと、キャンプ場でいいならと連れて行ってくれた。車の後部座席は全て荷物で埋め尽くされているので、前の座席に3人並んで座った。「この車には素敵な冷蔵庫が2つもついていて、居間にも食堂にも寝室にもなるんだ」。キャンプ場につくと、発泡スチロールの断熱箱から食料を出し、ガスを引いて料理を始めた。カレーとサンドイッチとスパゲティと??の4種類をローテーションで毎晩作っているのだそうだ。今晩はカレーの日。細切れ肉入り、生クリーム入りのカレー。2人分を3人にさせて悪かったかしらと恐縮していたが、2人とも気にしていない様子。蚊の襲撃には参った。旅行中の写真など見せてもらって夕げの団欒。帰る前にこの街のシンボルとも言うべきキャッスルヒルへ車で上った。アデレードの夜景にはかなわないけれど、ここからの眺めもなかなか。オレンジ色の街灯が規則正しく並んできれい。宿まで送ってもらい、急いで枕を持ってきて、2人にもサインをしてもらった。
88/3/24木 晴
タウンズビルの一日
9:00に待ち合わせをして、トム、カールとグレートバリアリーフ
ワンダーランドの水族館へ。クニ君もここの水族館は推薦していた。巨大な水槽があって色とりどりの魚が泳いでいる。感嘆。サメの水槽もあり、ガラスがあるのがわからないほどなので、まるで水中にいるような気になる。1時間程で見終えた。2人はこれからケアンズ方向へ旅立つ。カールが免許証を無くしてしまったので、トム一人の運転でこれからアデレードまで行くそうだ。大変だあ。Good
Luck。私は、ずっとうっとおしかった髪を切りに美容院へ。料金はA$10。
街を散策する。クイーンズガーデンへ行ってみたが、本にあるような花が咲き乱れる大庭園は見あたらず。そこで、クリーブランド湾に出て海岸沿いを歩いた。砂利浜で、水も濁っているからきれいとは言えない。泳いでいる人も皆無。しばらく歩くと、プールがあったので入ってみた。時間制限なしでA$1。(貴重品用)ロッカー代にA$1.50。デポジットとして更にA$1。泳いでいる人はかなりいるけれど、芋の子状態ではない。なにしろ50mもあるから、片道泳ぐだけで疲れてしまう。飛び込みも自由にできるようだ。日本のプールはどこも飛び込み禁止なので嬉しい。
泳いだ後はぶらぶらと公園を抜け、モール街を抜けて川の向こう側へ。ビクトリアブリッジという新しい橋を渡った。アーチ型にかかっていて、橋自体がショッピングアーケードになっている。まだ店舗が入っていなくて、がらんとしている。川岸の公園にアボリジニ達が丸くなって集まっていた。どこで見ても、彼らは白人社会とうまくやっているようには見えない。
宿に戻ると、バスルームのドア修理に来たおじさんが、クニ君相手に長々と話をしている。「オーストラリアは若い国だ。たった200年しかたってない。日本は歴史がある。」もちろんこのおじさんは、白人だ。
夕食は宿の希望者で向かいのレストランへ。A$6.00でラムステーキ500gにサラダとかぼちゃ、ポテト。これじゃあ2人前だ。一人おいた隣の人は、Oxfordの大学生だって。クニ君は臆せず英語でコミュニケーションしている。流暢できれいな発音でもないし、簡単な単語しか使っていない。生活していて自然と身についてしまったようだ。偉いなあ。
23:00発のバスでタウンズビルを出発する。この街は思い出深い。宿が良かった。清潔だし、あの塔の一角、日本人隔離室も、上るのが大変だったけど好きだった。宿のおじさん、帽子かぶってはだしで歩いて、無口で無愛想だけど優しそう。アルバイトなのか、部屋に案内してくれた女の人もかわいい人で、顔をあわせればHi、と挨拶してくれた。クニ君とはたった2泊だけだったけど旧知の友のように仲良く話ができてボルシチもご馳走になった。トムやカールや幼なじみとも偶然の再会をし、発信するばかりの旅行中に手紙を受け取ることもできた。いいことのいっぱいあった街を去るのは感慨深い。
88/3/25金 晴
再びブリスベン
朝食に寄った街は、南回帰線の通るロックハンプトン。モール街で開いていたMilkバーでサラダを買い、歩行者天国のベンチとテーブルで、いつものミューズリの朝食。爽やかな朝。
1日車中にいて退屈。もう何本もビデオを見た。映像が助けてくれるけど、耳で聞こうとしてもついていけない。周りの笑いに取り残されるのが悲しい。ブリスベンが近づくにつれ、とうとう再びやってきたという感が強くなる。
2月5日のツアーで寄った蜂蜜工場の看板のBig BeeやSunshine PlantationのBig
Pineappleが立っているのが見えてきた。ああ一周したんだなあと感慨にふける。懐かしいブリスベンのトランジットセンターへは45分遅れて17:45着。YHに電話してベッドを確保し、トランジットセンター内のCanton
Expressで夕食。ジャスミン茶の量の多いこと!お茶は久しぶりなのでおいしい。YHに着くとベッドは満員と書かれた張り紙が。不安になるけど電話ではOKと言ってたし、とオフィス再開の20:00まで待つ。ベッドはあった。同室者はスイス人のゲーリー。日本人の女の子もいて、彼女はスウェーデンの彼が下にいるんだけど会おうかどうしようかとウロウロ迷っていたので、元気づけて送り出してあげた。結局うまくいってディスコへ行ってしまったらしい。ゲーリーは、人と深く関わると自分が傷つくから、あまり深入りしないようにしているんだ、と言って一人で寝ていた。ひどく傷つくことでもあったのかなあ。
88/3/26土 晴
オーストラリア一のBP
朝6:50頃起きて、dutyをして出発。YHカードにスタンプを押すとき、前回(2月5日)のを見たおじさん、「Welcome
back here!」だって。昨夜の日本人の女の子が門まで見送ってくれた。うまくいってよかったね。トランジットセンターを8:00発クーランガッタCoolangatta行きのバスに乗る。乗客は初め9人。前の席は10歳位の黒人の男の子一人。パプアニューギニアから来たとか…?タバコ吸ってるから驚いちゃった。隣の老婦人は優しそうな温和な人。パプアの男の子と話をしていた。
到着が1時間遅れた。クニ君のくれたカードを頼りに行くと、オフィスは10:30までで、17:30再開。バスが遅れなければ間に合ったのに、チェッ…と思いながら、とりあえず荷物は預かってくれそうなので、整理していたら、別の人がbookingしたいんだけど、と交渉していたので、紛れて私も予約してしまった。ラッキー。洗面所もシャワーもトイレも待合所も食堂も部屋の中もどこも清潔で、明るいインテリア。すっかり気に入ってしまった。クニ君の言ってた通り、オーストラリアの中で一番いい所かもしれない。理想的な若者宿だ。マスターは、Seanという細身で少しイカレ風のおじさん。ジョークのつもりで「ブタ」を連発、大声で元気のいい人。Seanの相棒の猫の名はpiss
off(辞書に載ってないし、シドニーに戻ってDougやAaronに聞いても教えてくれなかったので、日本に帰ってから調べたら、トイレの小の意味らしい。いかにもSeanのつけそうな名前)。
さて、コアラパスの期限が切れたので、シドニー行きのバスを見つけなければいけない。インフォメーションへ行くと、A$30で見つかった。サンライナー社のA$35より更に安い。
海岸は、レスキュー大会が開催されていて、混雑していた。カヌーの競争など競技いろいろ。街中をうろうろしたり、海岸歩いたり、泳いだり。ここへは、海がきれいで人の少ない海岸を求めて来た。サーファーズパラダイスは高層ビルや観光客が多すぎて、好きになれない。クーランガッタはもっと小さなat
homeな街かと期待していたが、端とはいえさすがゴールドコースト、人出はかなりある。
夕食は宿の日替わりディナー。A$4のハンバーガー&サラダ。すごいボリューム!細くて頼りなげな日本人の男の子と一緒に食べた。今年大学を卒業し、院に進むそう。「英語がよく通じなくて、あはは…」と気弱に笑う。もっとしゃきっとしなさーい!と言いたくなっちゃうような人。偏見で見ているつもりはないけれど、オーストラリアで出会う日本人は、一般的に女性の方がたくましい。順応している。ブリスベンのマウントクーサであったゆきえちゃん、ツアーで一緒だったあけみさん、シドニーで一緒だったマキ、レイ、メルボルンのモーテルで会った人、アリススプリングスのYHで会ったなかたさんつえださん(この人達は2人旅だったけど)、エアーズロックロッジでベッドが上下だった人、ブリスベンのYHで同室だった女の子、タウンズビルのバックパッカー宿で会ったニュージーランドに1年いたという女性、皆たくましく一人旅をしてそれなりに旅行を精一杯楽しんでいるようだった。頼もしく思える。
夕食後、ビリヤードをやってる人達を見ていたら、そのうちの一人が話しかけてきた。ドイツ人だって。日本やドイツのことについてちょっとおしゃべり。ドイツからオーストラリアまではとても長い旅なのだそうだ。彼ともっと話したかったけど、洗濯機に入れたままの洗濯物のことを思い出して話を中断。洗濯ものを乾燥機に入れてもなかなか乾かず、もう20セント玉がないと困っていると、40セントくれた優しい人がいて、感激してしまった。
このバックパッカー宿にはスイートルームまであるらしく、ちらっと見たところ中はピンク色!そこに泊まっていたカップルの女性は日本人だった。彼女も、旅の間にハンサムな彼をみつけたたくましい人。話をしてみると気さくで優しい人だった。私をトランプカードにしきりに誘ってくれた。
88/3/27日 晴 婦警さんかと思ったら…
海岸へ出て、QLD州とNSW州の州境まで歩いていった。白い建物があり、そこに境界線がかいてある。その丘の上から、だあれもいない砂浜を見つけ、降りていった。人がいないから立ち入り禁止なのかと思ったが、そうではないらしい。砂浜のまんまん中に座り込んで、お昼のサンドイッチをほおばりながら、宿にあった日本語の文庫本、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた。日差しが強くて暑い。200〜300m位の幅の遠浅の浜で、カンガルー島のペネショー海岸のよう。人がいないというのはすごい贅沢だと思う。突風が吹いてゴミ袋が飛ばされた。咄嗟にこの浜を絶対汚しちゃいけないと思って、慌てて追いかけた。なかなか追いつかなくて、50m以上も全力疾走してしまった。せっかく追いついたのにまた飛ばされたりして、また一生懸命追いかけた。カモメってば、あいつなにやってるんだろう、と思うかしらなどとちらと思いつつ、誰もいない浜を一人で走っている。美しい砂浜、打ち寄せる波、晩夏の強烈な太陽、カモメ、強い風…。
奥の建物から女の人が近づいてきた。制服を着ていたので、立入禁止に侵入した私を注意しに来た婦警さんかと思ってドキドキしていたら、ここ、Flagstaff
BeachのSea Rescueに来ている高校生のJaneだった。Hi、とにこやか。あんまり私が長く座っていたので、おしゃべりしてくればと皆に言われて来たんだって。日本語を6ヶ月習った、と単語を並べる。ひらがなのおけいこをしてあげた。案内してあげる、とSea
Rescueの建物を見せてくれた。レーダーや無線機やボート。Pen Friendになる約束をした。でしゃばりや生意気そうな所など微塵もなく、物静かで素直なとてもいい子だ。私の出会うオーストラリア人は皆そんな感じ。少しはにかみながら、人なつこい。一人旅をしていると、こういうコミュニケーションがいっぱいあって嬉しい。私って話しかけられやすいのかな。ヒマそうにしているからかな。
帰る前に、波打ち際を端から端までゆっくり歩いた。帰るまで、とうとう他に誰も現れなかった。
宿の近くで同室のおばさんに出会った。アイスクリームをなめながら歩いている。夕食後にそのおばさんとおしゃべりした。40歳前後だと思う。西ドイツの人で、イギリスでドイツ語を教えていたのだって。日本の風習についていろいろ説明させられ、苦しい思いをした。お見合い結婚のこと、一般的に日本人が持っている、愛が全てではないという結婚についての現実的な考えを英語でどう説明したらいいのだろう?「日本は技術的にも進んだ国なのに、考え方、暮らし方、風習はold-fashionedだ」って言ってた。なんだ、日本のこと良く知ってるんじゃない。外国語教師の血が騒いだのか、日本のことをよく知っている上で質問し、私に英語で話すレッスンをさせてくれた感じだ。その証拠に、「あなたはむしろ考え方が西洋的だから、伝統的な考え方の日本人とは結婚しない方がいいんじゃない?」とまで言っていた。日本ではキスしたり抱き合ったり、家族の間でもそういう習慣はないというと、ひどく驚いていた。
夕食はBBQ。終わる頃に食堂に行ったので、係のお兄さんにぶつぶつ文句を言われてからかわれた。私も対抗して、「それじゃ焼けすぎー!もういい、もういい」と文句を言ったが全然とりあわず。「もう十分!ストップ!」と無理矢理やめさせたら、食べてみるとレアだった。「文句言ってごめーん」と謝ると、「そーだろう」と笑っていた。ちゃんと会話が成立しているのは我ながら大した進歩だと思う。
88/3/28月
雨ふったりやんだり 雨のクーランガッタ
昨日Flagstaff Beachの近くで見つけたWater sliderで遊ぼうと思って、水着を着て行ったのに、辿りつくまでにどしゃ降りになった。雨の中歩いて行くと、案の定閉まっていてがっかり。仕方なく宿の食堂でパズルなどして過ごしていた。珍しくヒマを持て余す。何のためにここクーランガッタにいるのかわからなくなってきた。シドニーに帰ることをずっと念頭において旅してきたから、シドニーを目の前にすると気がせいて落ち着かない。海でのんびり過ごしたくて来たのに、気持ちはのんびりしていない。ゴールドコーストの一部だけど、期待したような美しく長い砂浜ではなかった。むしろサンシャインコーストに行った方がよかったかも。でも、この宿に泊まれただけでも運が良かった。快適なところだ。
20:10のバスに乗ろうと出たところ、たまたま車で帰る(まかないの?)おばさんがバス停まで送ってくれた。バスは安いせいかデラックスよりせまくて不潔。換気も悪く隣の女の子のタバコの煙がもうもうと襲ってくる。耐え切れずに前の席に移った。あまり快適とはいえないバスでシドニーへ向かう。