88/3/29火 晴
2人席を独り占めしていたのに、寝心地悪くて15分ごとに目を覚ましていた。シドニーに近づくにつれ、そわそわ落ち着かない。『帰ってきた』という思い。ハーバーブリッジからオペラハウスが見えた時は、ああ本当に一周してきたんだなあとしんみりした。10時頃到着。キングスクロスの安宿街で宿を探す。旅の途中で良かったと教えてもらった所へ行ってみるが、満室。近くの安宿はどこもみなNo
Vacantで、仕方なくフィッツロイ公園より奥のRoslyn Gardens Rd.のヤングトラベラーズホステルへ。A$10だからまあいいでしょうと、とりあえず1泊。中へ入るとそのひどい汚れように驚いた。部屋には衣服やゴミやありとあらゆるものが散らばっているし、ほこりだらけ、台所は食べかすだらけ、唯一マシなのはシャワールーム。ひどい所だ。1週間ここにいるとなると掃除のし甲斐がありそう。
ぶらぶらとcityへ行く。週初めでもあったし学生証もまだ有効だったので、Red
Passを買った。初めお釣りを少ししかくれないので、学割よと抗議したら、ぶつぶつ言いながら今度は多めに返してくれてラッキー。何を勘違いしたのかしら。
センターポイントへ行き、なつかしのシシカバブを買い、ハイドパークでお昼。3週間ぶりだ。英語学校に寄って顔見知りと挨拶し、Hoytsで映画を見た。火曜日は半額の日なのだ。やっていたのは『ラストエンペラー』。後ろの中国人が、セリフを繰り返してはばかにしたように笑う。ずっとしゃべり通しでうるさいなと思ったが、内容が内容だけに日本人の私が中国人に向かって文句も言えず、席を移った。坂本龍一が『アマカス』という役で出ていて驚いた。マキの言う通り、外国人の話す英語で話が進むので、わかりやすかった。でも、映画の間はあと1週間でシドニーを発つことばかり考えていて、皇帝のtutorが中国を去る時に流れた『蛍の光』を聞くと自分のことと重ね合わせて悲しくなってしまった。
フィッツロイ公園辺りで中国人に声をかけられた。友達といるの?すぐさまYes、時間があればレストランへでもと言われたが、即座にNo。念のためあとをつけていないか確かめるこの用心深さ!オーストラリアでの処世術も身についてきた。でも真にフレンドリーだからなのか、治安の悪いキングスクロスだからなのか、間抜けな日本人旅行者と見られたからなのかは判断つかず。
MLCを歩いて、初めてシドニーに来た日のことを思い出したり、夜のハイドパークを歩いてオペラハウスの帰りのことを思い出したり、センチメンタル。
88/3/30水 曇
朝一番にしたのは、台所掃除。よくも皆あんな汚い所で平気で朝食を食べられるものだ。私は我慢できなかった。同室の人は大半が男性かと思っていたら全員女性だった!ベッドはくしゃくしゃ下着も床に投げ出し、部屋中ごみだらけ。ずいぶん無神経でだらしない。私も整理整頓は得意な方ではないけれど、ひどすぎる。台所を掃除していたら、あんたはえらいってな感じで、日焼けした真っ黒な人(国籍不明)が夕食にtongueを一緒に食べないかと誘ってきた。悪いけど先約があるの。ウソではない。Yuide家へ行く予定だったのだ。
宿泊者が出て行く頃を見計らって駅の裏のInternational Network Hostelへ行ったが本館は満室、ダーリングハーストSt.のスーパーの隣の分館なら空いていると言われ、仕方なくそれで手を打つことにした。そこは新装の部屋で何もかもピカピカ。清潔。ただ新しいせいかペンキだか消毒剤だかの変な臭いが気になった。イギリス人の気さくな女の子が先客。つたない英語でもちゃんと聞いてくれて、わからない顔をしていると丁寧に教えてくれる。
Cityに出て図書館に行こうと思っていたけど(一応論文の資料探しにね)、公園でのんびり日記など書いていたら時間がなくなった。夕方はなつかしのYuide家へ。宿のこと聞かれた。またお世話になろうなどと全く考えていなかったのだけれど、部屋は空いてるからちっとも構わないよと言われ、すぐにとびついた。バンザイ。ここ以上良い所はないもの。前払いした今晩の宿のA$10は返してもらえなかったけれど。私が元いた部屋には、次の日本人のミキがいる。Jacobが私をミキー、と呼ぶのでちょっとショック。3週間であんなに呼んでくれた「トミコー」の名を忘れてしまったのかしら…。私は、元トムがいた部屋を使わせてもらう。
88/3/31木 曇
ANAのオフィスに寄ると、4月5日のフライトは満席で、しかもストライキで飛ばないかもしれないと言う。その後もずっと満席なので、確実なのは4月2日の便のみ。呆然。あと1週間はいるつもりだったのに、明後日帰国とは…。シドニーを発つ、オーストラリアを去るという思いが現実となって迫ってきて、ハイドパークに座り込んでめそめそしていた。泣くだけ泣いたらすっきりして、図書館へ行って資料探し。日本人で働いている人がいて、何かあったらどうぞといってくれた。
88/4/1金 雨のち曇
あいにくの雨だが、ロイヤル イースター
ショウを見に出かける。入場料A$9はちょっと高いと思う。『xx博』というのと同じで、建物の中に展示や売店があり、遊園地にもなっている。もともとは家畜の品評会だったらしい。牛や馬、豚、羊の会場もあって、賞を取った動物が並んでいた。一通り全部周るつもりだったが、疲れちゃって無理。ずいぶん広かった。写真展を見たり野外オーケストラを聴いたり、羊舎では初めて羊を間近に見て面白かった。羊ってせわしなく呼吸していて、丸々としたお腹が絶えず動いている。シャムネコ品評会なんていうのもあった。日本のパビリオンもあったけど、中国といっしょくたにされている。赤いちょうちんや中国服を着た人形を売っている。金・銀・緑・青・赤・黄などの色とりどりのインスタントかつらが人気で、子供達がかぶっていてかわいかった。露店のゲームセンターでバスケットボール入れに挑戦するが、ゴムボールだったこともあって全部ハズレ。
友達と待ち合わせて食事の予定が、どこもイースターホリデーで店は休み。休日でも開いていそうなヒルトンホテルやチャイナタウンを周ったがどこもダメ。ダーリングハーバーでは開いていたが閉店間際だった。仕方なくキングスクロスの大衆パブへ。静かに飲んでいたアボリジニの青年に白人青年がいちゃもんをつける場面に遭った。アボリジニ問題の一端を見た気がした。
見納めにとBellevue Parkへのぼってみた。夜景もきれいだ。シドニー最後の夜は、お茶を飲みながら静かにDougとMickeyとおしゃべり。風邪の前兆か、喉が痛い。
88/4/2土 雨
懸念していた通り扁桃炎になってしまった。喉は痛いしだるくて熱っぽくてめまいまでする中、午前中はなんとか荷物をまとめ、Dougに車で送ってもらってお別れを言いにボンダイビーチへ。傘を借りるのを忘れて小雨の中、人の殆どいない湿った砂浜を端から歩いた。風が強い。アツアツの揚げたてのfishをどうしてももう一度食べておきたくて買ってしまった。うーん、おいしい。イースターホリデーだというのに、ボンダイビーチの店はいつも通り開いている。イースター用のカードを買い、Yuide家への感謝のメッセージを書いた。I
am sure I was staying in the best place and with the best family in Australia.
花屋さんでピンクのバラの花束を買い、いつもおいしそうだと眺めていたケーキ屋さんでケーキを買い、家へ戻った。Mickeyにこれはあなたにと花束を渡すと、思いもよらなかったととても喜んでくれた。午後は静かに家の中で過ごす。サマンサが来たので枕にサインをお願いした。彼女も職場を変わるので、職場仲間からいろいろ贈り物をもらったという。私のあげたカードを見たサマンサが、これniceよと言ってくれた。満ち足りた気分のイースター。
Dougが帰ってきて、午後のお茶に皆で私の買ってきたケーキを平らげた。フライトが19:30と思っていた私はソワソワ。2時間前には空港にいなくちゃと気を揉んでいたが、夫妻は時間はたぷりあるからとのんびりしている。DougとMickey、Jacobでわざわざ見送りに空港まで送ってくれた。とても助かった。空港に着くと、フライトは21:30とあった。私が9:30を19:30と間違えていたのだ。逆じゃなくてよかった…。
荷物を預け、家族とhuggingしてお別れ。Mickeyは、イースターエッグよと子供達に包んだチョコレートを私にもくれた。私は今までの言い尽くせない感謝を伝えたかったけれど、英語で十分に言い表せずにせつない思い。別れがたく、今度は私が見送りと駐車場まで行って走り去る車に手を振った。もう日本行きの便しか残っていないのか、空港には殆ど日本人しかいない。案内も日本語でされているし、もう日本に帰ったような気分だ。永遠に残りたいとは思わないけれど、今は帰りたくないという思いが強くて、悲しかった。搭乗の時の手荷物検査で、サインで埋め尽くされた枕を差し出すと、係官の女性がにっこり笑っていた。周りはハネムーン帰りのペアルックばかり。雨に煙るシドニーを発つ。そういえば、シドニーに降りたときもブリスベンへ着いたときも雨だった。今夜の雨は、まるで私の心を写しているかのように思われた。