7月6日の午前中は、マングローブツアー。9:00に集合場所に行くと、前日申し込みを受け付けてくれたバカボンがいる。まさかと思ったが、彼がガイド。
メキシコのカンクンでめぐったような両脇マングローブという水路を進み、メンカボンという近くの水上村に行く。客は私たちの他に日本人の4人家族。
船着き場から桟橋を村の中心へ進む。桟橋へは各家から橋が渡してあり、このメインストリートを歩いていると、それぞれの家の様子が伺える。川で洗濯をしている女性、タバコを吸ってる老人、舟を作っている男たち、家の中をかけまわっている子供たち、食事の支度をしているお母さん。ガスはない。家の中でたきぎを燃やして火を使う。電気・水道は引かれているが、水道は主に飲み水用。洗い物は川を使う。家の外にあるタンク付きの四角い部屋がトイレ。川は濁っていてところどころゴミがたまり、とても清潔とは言えない状態。それでも、子供たちは勢い良く水に飛び込んではしぶきをあげ、笑い声をあげていた。元気だ。よそ者である私たちの通行に、大人は無関心だが、子供たちは恥ずかしそうに見つめたり、手をふったり、無邪気。
村の戸数は約200。1軒に14,5人が住み、村民は3000人ほどだという。村を見渡せる丘にのぼった。茅葺きの屋根も少しあるが、殆どはトタン板。前回の強風で屋根がまるごと飛んで行ってしまった家もあった。昨夜の雨はどう過ごしたのだろう?屋根の棟の端に二本の棒がX字形にクロスしているのは、悪霊から守るためだという。日本の神社の千木(ちぎ)と良く似ている。そう言えば、土中に埋まった柱が土台となってその上に家がある形なんて、神社と良く似ているではないか。千木は、破風(はふ)が伸びた形であるらしいが、破風は、その字から風を破るためのもの、転じて悪いものをよせつけないためのものという意味があるのではないだろうか。日本の建築とボルネオ島原住民のバジャウ族の家の造りが似ているのは、やはり同じ東洋人でルーツが同じだからかしら、などと勝手に推測してしまった。
それにしても、家の傾き方がすごい。平らな床のないところで、物はどうやって置いているんだろう?夜はハンモックか何かで寝るのだろうか?私たちの目から見ると、今にも倒れそうな家や不衛生な水は、快適な住まいとはとても思えないけれど、人々の表情にあまり暗さはない。それどころか子供たちの表情は生き生きしている。この環境が彼らにとってある程度満足な状態なのか、そうでないのか、見当もつかない。私たちにはわからない豊かさがあるのかもしれない。
バジャウ族は優秀な漁民として知られている。メンカボン村から帰るときも、カヌーのような細い舟で漁をしている人をみたし、マングローブの近くに牡蠣などの養殖所がたくさんあった。
マングローブの林を進む
バジャウ族の墓。色の違いは階級の違い
村の集会所も水の上
メンカボン村上陸。メインストリートを歩く
メインストリートに各家から橋が渡っている
漁をするバジャウ族
14:00からのオランウータンの昼食に参加するため、NIC(Nature Information Center)へ。NICの裏山へ5分ほど登ると、オランウータンの昼食場に到着。既に一頭遊びに来ていた。用意してある食べ物は口に入れず、食事というよりは毎日現れる係員に会いに来ているようだ。ひとしきり係のお兄さんとじゃれて取っ組み合いをした後、また森の中へ帰っていった。NICへ戻ると、夜もおいでと言われた。どこかへ夜行性動物を見に行くのかと思ったら、NICに現れる動物を待つのだそうだ。
出発前の説明。
5分位前登るとオランウータンがもう来ていた
係のお兄さんにじゃれつくオランウータン
NICでは、毎晩21:00からNight Tourがあり、どこかへ行くのかと思ったら、庭にエサをまいて、動物が食べにくるのを眺めるのだそうだ。夕食後、二日続けて行ったら、イタチ、鹿、豆鹿(鹿の中で最小。ねずみみたい。足が棒きれのように細い)などが現れた。1時間待って、殆どはお茶を飲みながらスタッフとおしゃべり。期待の針ねずみはとうとう現れず。私たちの他には、オーストラリアのNSW州から来たという親子、日本からの若い女性二人、西洋人のグループなど数人しかいなかった。
疲れがたまって常に眠い。トゥアランの市場へ行った日の午後は、海風が心地よく、ビーチでお昼寝。なんだか台湾人の団体で騒がしい。まもなく雨がふりだした。仕方なく部屋に戻り、ルームサービスでカクテルを頼み、ベランダでおしゃべりしたり持ってきた文庫本を読んだり。メキシコのチチェンイッツァでも熱帯雨林に降る雷雨をぼんやり眺めていた。不思議と心が落ち着く。
メンカボンへ行った日の午後は、プールサイドとビーチで思い切りお昼寝。日陰の昼寝は心地よいのだが、ハエがうるさくて熟睡できない。西海岸なので、きれいな夕日を期待していたが、雲に隠れてしまった。
プールで泳いでたヘビが捕まった
浜では台湾人の団体さんが大騒ぎ
ヤシの葉の屋根から美しい夕日が
…見れなかった
忘れ物女王の私が、また今回やってしまったのは、デジタルカメラ。シンガポールの中華レストランに置き忘れたが、ちゃんと戻ってきた。
シンガポールでは、午前中土砂降りに見舞われ、やむなく傘を買いにいったが、まったく使わないうちに雨がやんでしまった。くやし〜い。後々使えるようにと折りたたみではない普通の傘を買ってしまったが、持ち歩きにくかった。
旅行二日目の朝、ベランダに出てみると、上から「あのー、」と日本語が。ベランダに出たら鍵がかかって部屋に戻れなくなってしまったとか。友達の部屋に電話で連絡してほしいとのこと。電話中でなかなかつながらず、フロントに伝えてもなかなか救助に来ない様子で、何度か電話したり気にしていた。庭の方から現れたツアーガイドに事情を説明しているようだったので安心して遅い朝食に出た。
マレー半島に足を踏み入れるなら、戦中の日本軍による侵略の歴史が、侵略された側からどう表現されているのか見ておきたいと思っていた。入り口入って最初に、1823年から現代までのシンガポールの歴史が20のジオラマで展示されている。そのうちの2つが戦争中の日本に関する記述だ。シンガポールの特に華僑たちは、中国大陸侵略への抗議として日本製品のボイコットや中国政府の支援を行っていたため、日本軍の暴行の矢面に立たされた。マレー半島で行われた日本軍による虐殺の数は、日本の教科書では2,3万と書かれ、シンガポール・マレーシアでは5,6万人と言われている。
ペラナカンの家、エリザベス・チョイの展示など熱心にあれこれ見ているうちに外は晴れた。
近くにあるのでラッフルズホテルに行ってみた。噂に聞くほどの高級感はなく。もっとも中に入ってみたわけではないけれど。
サバ紅茶,サバ州ビデオ, マレーシアの地図,トゥアランの市場で買ったバティク。
シンガポールで買った綿のパンツと
サンドレス
シンガポールのスーパーで買った食料。
エビのチビ春巻は好評。
マレーシア総合案内(東方観光局) アジア各国の情報を載せています。
ボルネオ・マレーシアへのいざない ボルネオ島サバ州中心にマレーシア関連の情報が満載。(今回のサバ行のガイドブックとなりました。製作者のstepanさんには、文中、識者としても登場して頂きました。)
Jalan Jalan マレーシアのおっ気楽総合ツアー。
シャングリ・ラ リゾートホテルのチェーン店。英語・中国語のページもあり。
スターポート 在星(シンガポール)邦人の間で流行っているモノって?お薦めスポットは?シンガポールの生情報を探せるページ。掲示板で見られるシン妻(シンガポール駐在員の妻)達の本音も結構面白い。
<このページの最終更新日:99/03/06>