その2(パリ〜ディジョン〜ストラスブール〜アルザス〜フライブルグ)
97/3/14金 曇のち晴 なんて言われるんだろう?というドキドキも裏切られ、パスポートの中も見ずにさっさと行け、といった感じの入国だった。シャルルドゴール空港は建物と建物を斜めにエスカレータが走り、近未来の様相? 地下鉄駅行きのバスに、やたら体格のいい元気なお兄さんたちが乗ってくる。話しかけられて、「フランス語わからない」って言うと、「オレ達も、アイルランドから来たから」と親しげだった。でも、やっぱり癖のある英語でわからなかった…。ラグビーの試合にきたチームなのだそうだ。道理で皆ごつごつしてるわけだ。 地図に載っている通りの名前を便りに、ホテルを探し当てる。思ったより奥にあって疲れちゃった。部屋は清潔でこじんまりしている。窓を開けると、一面緑!野原ではない。駅舎の屋根がずらーっと並んでいたのだった。 |
![]() 部屋のベッドはこんな感じ。ちょっと狭いけど、清潔。 ベッドの上に今日の格好を並べてみた。 国内でも海外でもあまり変わらず、 私の旅の荷物はこんなカンジ。 |
97/3/15土 曇のち晴 朝早く宿を出て、ぶらぶら寄り道をしながらリヨン駅まで歩いた。自動販売機でパリParis〜ディジョンDijonの切符(F264)を買う。行先、時刻、人数、座席の種類を順番に指定してクレジットカードを入れると発券してくれる。英語もあって助かった。 |
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14:30 とりあえずブルゴーニュ地方のボーヌBeauneへ向かう。ワイン博物館Musee
du vinがあるらしい。途中の景色のどか。おいしそうなレストランも多い。 1時間でボーヌ着。鳥居のような大きな門から入る。とりあえず車をとめて歩く。駐車料金、5F(\115)/h。とはあとで気づいた。 Musee du vin→の看板を見つけ、矢印に従って歩いたら道に迷い、車に買い物を積み込んでいた子供連れのおじさんに聞いた。すぐ近くだった。F25。期待したほどでもなく。倉庫の中の圧搾機は壮観。でっかい。実際にこれで絞ってるとこ見てみたいよね。 道の方向がてんでバラバラで、方向感覚が掴めないけど、狭い町の中をうろうろしているうちにだんだんわかってきた。Hotel de Dieuがこの町では一番有名らしい。でも、それってナニ?貧しい病人を救う教会の施設だそうだ。ここで作るオスピス・ドゥ・ボーヌHospices de Beauneのワインはチョー高いが有名らしい。屋根の色と模様が変わっている。見学したかったが、宿を決めるのが先とUターン。ボーヌに入る直前に見つけたホテルに舞い戻ると、よくよくみたら4つ星。すごすご退散。ミシュランで見つけた町の南のベル・エポックBelle Epoque(Young Youの連載漫画のタイトルと同じだからって理由で)に決めた。 |
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夕食はゴーカにフルコース。宿の人に勧められた数軒先のレストランへ。ミシュランにも載っていた。でも、やっぱり高いわ。 食前にキールロワイヤルKir Royale、75Fの赤ワイン(Recolte du Domaine des meix 1994), プチトマトのクリームチーズ詰め、パイ、ベーコンのせタマネギ、カニのスープ、ミントと?の葉添え鯛の酢漬け。真ん中にはいろいろな野菜の柔らか煮を丸くしたものの上にトマトケチャップ、ゆで卵。メインは、チーズをのせた羊肉+ナスのチーズのせ。揚げ春巻きにとろけるチーズ入り野菜付き。最後にカフェオレ。げっぷ。食べ過ぎ〜。 |
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97/3/16日 曇のち晴 午前中、昨日見れなかったHotel de Dieu、オスピス・ド・ボーヌHospices de Baune(ボーヌ施療院)を見学。冬はとても寒そうな天井の高い聖堂内にベッドがずらっと並んでいる。手術をする道具などもかなり揃っていたらしい。 ボーヌを出てDoleから高速道路に入り、北上。ストラスブールStrasbourgの手前、Selestatで降り、すぐ東のドイツに入ってみた。橋を渡るとそこはドイツ。国境の看板はあるが、そのまま隣国へ渡れてしまう。 夕方、ストラスブールに到着。ストラスブールはドイツ風の街並み。この地域は、昔からドイツに併合されたりフランスに取られたり、を繰り返してきた町。小学校の教科書に載っていた『最後の授業』の舞台は、このストラスブールである。 |
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余談であるが、フランスの作家アルフォンス・ドーデ作の『最後の授業』は、最近の小学校の教科書からははずされているそうだ。この話はフランスのナショナリズムを高揚する意図で創作されたものらしい。明日からは占領国であるドイツの言葉を使わねばならず、フランス語による授業は今日が最後、フランス語バンザイ!というのがあらすじであるが、そもそもアルザス地方で日常使われていた言葉はアルザス語という、ドイツ語の一方言であった。明日からはドイツ語で、と言われても住民に格別違和感はなかったに違いない。 現代では、アルザス語を正確に話せる人も少なくなったそうだ。国境を超えてドイツに通勤する人も多い。国の狭間で生きてきたアルザスの人々の帰属意識は、フランス、ドイツどちらにあるのだろう?アルザス人がフランス人であると言うのは、私達が日本人であると言うほど単純なものではないのかもしれない。 |
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![]() 教会前のおみやげやさん。なぜかコウノトリの 人形がたくさん売られている。町のマスコット? |
![]() 夕食はドイツ風料理を。 |
97/3/17月 曇のち晴 ストラスブールから南下、ワイン街道沿いの町を走る。オベルネObernaiに寄り、763mの山の上の修道院、モンサンオディーユMont
Sainte-Odileに上ってみる。 お隣りのドイツの町、フライブルグFreiburgにちょっと入ってみた。 日が暮れたので、フライブルグの近く、Titisee湖のほとりで宿探し。木造の雰囲気がでていて、居心地のよかったホテル。ドイツ語が全然わからないけど。同行の友人一家はドイツ在住のため、ドイツ語はおまかせ。 |
![]() アルザス地方の 衣装 |
![]() フライブルグの町。 路面電車の駅や教会の塔が フランスとはちょっと違った感じ。 |
<このページの最終更新日:99/07/24>