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87/03/10火 晴のちグアムは曇
出発間際に父の靴がなくなるとか、高速道路が事故渋滞で、チェックイン締め切りにぎりぎりだったとか、最初からハプニング続きだった。普段は交通安全をうるさく言う父が、この日ばかりは兄の高速運転も黙認。9:45空港ロビー到着と同時に、母はカウンターへ、父と兄は車を預ける業者へ、私は荷物全部を持って電話口へ、と三方に飛び散った。私は、両手一杯に荷物を抱え、パスポートを落としたのにも気づかなかった。警備員が声をかけてくれたからよかったものの、皆にコテンパンにされるところだった。ふーッ、危ない危ない。いろいろな人にせかされ、あたふたと出国手続きをして機内へ。座席はガラガラで50人位しかいなかった。10:35離陸。ホーッと一息。こんなに苦労するとやっといけるという感激も深まるか!?
10年前の初めての海外旅行の機内食に比べ、とてもあっさりした内容の昼食が運ばれてきた。日本の航空会社だから?時代の違い?日本人のお腹にはこちらの方がちょうどいいのだけれど、アメリカ旅行!の気分にケチがついたようでちょっと寂しい。
ちょうど3時間でグアム着。入国管理官のおじさん、年代を見て言葉を使い分けているようだ。母には日本語で、兄には英語で話しかけたそう。私は、「No business?」と聞かれて思わず「Yes」と答えてしまい(正解はNo)、悔しい思い。「Sightseeing?」って聞いてくれればいいのに。
レンタカーを借り、慣れない左ハンドルのオートマでそろそろと出発してホテルへ。ホテルロビーには旅行会社のオプショナルツアー受付デスクがずらりと並んでいる。LOOK、ホリデー、ダイヤモンドなど。全面日本語の看板で、日本人専用のツアーらしい。米国人用はグレイライン社くらいか。
まずは近くのスーパーマーケット、Gibson'sへ行ってみた。スーパーを中心にレストランや専門店が囲み、ショッピングセンターとなっている。食料品は安いが、衣料品は日本と変わらない。免税品のOld Parrが、沖縄でも\5,000なのにここでは半額の$16(\2,500)だと父がご満悦。靴や衣類、Made in U.S.A.のものはさすがにサイズが大きい。店内の客の大半が日本人で、店員も日本人が多く、日本人でなくても商用日本語は使えるようだ。道を走っていても日本語がいたるところにあり、沖縄のコザ(沖縄)市を思わせた。
海岸沿いのRoute1を南下し、グラス防波堤で夕日を眺めようと走ったが、途中でSun Set。とてもきれい。引き返して自由の女神像を目指したが、左折に失敗したのでそのまま夕食へ。ガイドブックにあったTaco Bellでメキシカンファーストフード。店員は殆どがメキシコ人かメキシコ系のようだった。
ホテルに戻ると、部屋の電気がつかない。フロントに聞きに行くと停電だという。カギを受け取ったときには何も言ってくれなかったのに。何にもできないわと言うと、しょうがないという顔で落ち着きはらってキャンドルを1本くれた。停電なんて珍しくもないのか、平然としている。部屋に戻ろうとするとロビーのemergency lightがふっと消え、一瞬真っ暗になった。きゃあという叫び声もあがり、灯りがついた後も強くなったり弱くなったりで、まるでパニック映画のよう。エレベータは恐いので仕方なく非常用階段を駆け上って部屋に戻った。キャンドルの灯で絵葉書を書く。内心こんな状況を楽しんでいる。ろうそくを一本立てたテーブルを家族で囲み、どうしようもないね、と苦笑いする。ろうそくの灯は温かみがあってロマンチックだ。
87/03/11水 晴
一日南部観光。左折禁止で昨日散々苦労した自由の女神像へ。ちょうど観光バスの時間と重なり、日本人だらけになった。ニューヨークの像を想像していたけど、島の面積に比例してか大分小さい。道の脇にみやげ物の屋台が並ぶ。「安いよ」「見ていって」日本語が飛び交う。ロータリーを回って島を東西に走る4号に入り東へ。道幅も広く車も少ない。さすがアメリカ。でも走っているのは殆ど日本車。TOYOTA, NISSAN, MAZDA, SUZUKIなど。タクシーはFORDが多い。運転を代わってもらい左ハンドルに初挑戦。オートマも初めて。ウィンカーを動かすつもりでワイパーを動かしてしまったり。クラッチがないので足が変な感じ。でもゴーカートみたいでマニュアル車より簡単。
東側の海岸を走り、初めに止まったのはタロフォフォTALOFOFO湾。静かな湾で鷲鼻のようにとがった崖がある。海岸に沿ってイナラハンの天然プールに着く。観光ポイントなのだろうけど、大きな看板もない。天然プールは岩で海から遮られてはいるけれど、きれいでまさに自然にできたプールという感じ。日本ならすぐ観光地汚れしてしまいそうだけど、自販機もないしゴミも見当たらない。踏み荒らされてもいないし、自然のままという感じでよい。白人女性がビーチチェアに寝そべって日焼けしていた。
島の南端メリーソMERIZOから12:30の船でココスCOCOS島へ渡った。往復一人$12。5分ほどで到着。風を切ってビューンと飛ぶので心地よい。ココス島への飲食料は持ち込み禁止。ジュースとココスバーガー($4。フライドポテト付き)の昼食。日焼けし過ぎないよう14:00を過ぎてから海へ出た。午前中からいる人たちはもう真っ赤になっている。ツアーで14:00頃帰った人たちのビーチマットで海に浮かんだり、シュノーケリングしたり。でも、遠浅でサンゴも殆どないのでシュノーケリングには向かないようだ。エンゼルフィッシュもいるにはいたけど、案の定ナマコがうようよで、気持ち悪くてダメ。1時間おきに出ている船で16:15にメリーソに戻る。島には日本人しか見当たらず、日本かと錯覚するほどだったが、船には他に現地人の従業員や米軍関係者らしき白人など、いろんな人が乗り合わせていて面白い光景だった。
ウマタックUMATACではマゼラン上陸記念碑、ロンドン橋風の橋を見た。グアム最大の展望地というニミッツヒルNIMITZ HILLを探していたら、いつのまにか軍施設の塔に向かっていて慌ててUターン。警告に出てきた米軍の車が後をつけてきたが、Uターンするのを見て笑っていた。展望台を探して停まったところには洞穴があり、日本軍が防空壕を掘った後らしい。母が日本語が書いてあったのを見つけたそうだ。
夕食はGibson's内のKing's Restaurantで。店員お薦めのテリヤキチキン&コンボ($8.25)をオーダー。サラダバーが付き、野菜も一杯。おなか一杯。チップはいくらかと、あーだこーだ相談してテーブルに置く。合理的なはずのアメリカでこんな習慣があるなんて納得できない。サービスチャージはいくら、とちゃんと明記してくれる方がよいのに。
87/03/12木 晴
一日PIC(パシフィックアイランドクラブ)で遊ぼうと兄とツアーに参加。両親は北部観光へ。お迎えのバスが遅れて到着した。腰に布を巻いた陽気な白人が案内役。カードに名前を書き、入場。女性にはハイビスカスの花を。耳の上の左に差すのが既婚、右にさすのが未婚の意味なのだって。10:30からのウィンドサーフィンの講習に参加。カードと引き換えに靴やシュノーケルのセットを借りられるという仕組み。ウィンドサーフィンの講師は大柄のチャモロ人で、日本語を取り混ぜながら陽気に説明をする。スタッフは全員アメリカ人らしく陽気、それに比べて私も含めた日本人(ほぼ全員といっていいほど客の殆どが日本人)の陰気さが目立つ。恥ずかしがって拍手も声もぼそぼそ、目立ちたがらず群れの中に紛れ込み、勢いがない、元気がない、おどおどしている。私はまん中辺に立っていたのに、皆が段々後ずさりして引っ込んでいくのでいつのまにか一番前になっていて、兄と二人組みで最初にデモンストレーションをやらされた。
1) マストの付け根を両足で挟む
2) アホーライン(と説明者が言ってたけど、up hold lineのことだろう)をゆっくり引き上げてマストをまっすぐにする。
3) アホーラインの付け根を握っているのとは逆の手で上からクロスさせてブームを掴む。
4) 片足を引き『ニンジャ』スタイル(腰を落としたガニ股の恰好のことだって)になる。
講習では簡単そうに思えたのに、いざやってみるとすごく難しい。少しはコツがわかったけど重たくてバランス取れなくて1時間半やったけど殆ど上達なし。少し進んでもすぐ倒れちゃう。
ランチタイムはTIKI Terraceでbuffet style。店員がriceを取り分けようとしたのを断ると、ユダヤ人かと聞かれた。スープをよそってくれたり、カレーですよと教えてくれたり親切。デザートのケーキもgood。
食後ウィンドサーフィンをまた1時間半。うまい人は体も濡らさずすーっと行っちゃうのよねぇ。少し進んでいったら今度は戻れなくなり、足も着かない深い所まで来て途方に暮れたが、のろのろ泳いでなんとか帰れた。帆が何度もボードから離れてしまい困っていると、現地人らしき人が助けてくれた。英語も日本語も通じない、何を言ってるかわからなかったけれど、棒をはめるのを手伝ってくれた。近くの海岸に遊びに来ている人かしら。確かに海には柵など無いから自由に行き来できる。
ちっともうまくならないのでウィンドサーフィンはあきらめ、シュノーケルを借りた。行けども行けども遠浅で、なまこばかり。どんどん浅くなって体が海底につきそうになり、「ぎゃー!ナマコに触っちゃうー!!!」と大パニック。手で海底を押して進んだ。あー、あせった。もうこりごりと思って浜辺に戻ると、兄がオレンジブイの近くに落としたサングラスを探してきてと言うので、またいやいや海へ。サングラスは、テーブルサンゴの上に引っかかっているのがすぐに見つかった。
迎えのバスまでの残りの半端な時間に、兄にビリヤードを教えてもらった。まっすぐ突けないのでとんでもない方向へいってしまうこともあるけど、うまくいくと面白い。
夕食はシェーキーズへ。サラダやご飯やフライドチキン、パスタ、パン、ピザなど豊富に種類があり、好みのものを好きなだけ取れ、目方で料金を支払う仕組み。たっぷり盛っても一皿$5弱くらいで経済的。店内の作りも落ち着いていて清潔だし、チップは不要だし、食べ残しは持ち帰れるし、合理的でいいなあ。
87/03/13金 晴
午前中は、兄と私と案内役の母の3人で北部観光。まずは恋人岬 Two Lovers Pointへ。椰子の実ジュース$2に挑戦。すいかのジュースのような感じ。 グアム大学のキャンパス内には、チャモロ人も白人も黒人もアジア人もいる。ラフな格好をしている人が多いが、女学生はちゃんとした格好でストッキングまではいている人もいる。暑そう。食堂も売店も特筆することなく、私の大学の生協より少し広い程度。 グアムの最大の観光ポイント、アガニャでは知事官邸前を通ってアフガン砦へ。街がよく見渡せる。ここにもみやげ物屋が立ち並び、日本語が聞こえる。「安いよー」「見てー」「素敵なサングラスねー」だって。ラッテストーン公園辺りに車を停め、私は一人でスペイン広場周囲をふらつく。隣の女学校から、学生の歌声や陽気に騒ぐ声が聞こえてきた。マリア大聖堂に少し入ってみたが、厳かに礼拝が行われていたのですぐまた出てきた。一人で歩いていると、地元の人が「コンニチハ」「ゲンキ」と陽気に声をかけてくる。外国人に対するからかい半分の挨拶なのか、純粋に友好の気持ちからなのか、お金を落としていってくれるありがたい外国人への親しみの気持ちからなのか。 スペイン橋を見て観光おしまい。 |
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白い建物が遺跡として残っているのを見ると、ここは本当に西欧人に占領され、独自の歴史に白人文明が入り込んできた島なのだと感じさせられる。現代の日本文化だってユニークであたりまえのものに感じているけれど、外から見れば、古来の日本文化と西欧文化とが妙に混在しているように見えるのかもしれない。
午後は交代でシュノーケリング。ホテル近辺の海は少し深く、ちょうど良くサンゴがたくさんあって魚が群れをなして泳いでいる。パンを持っていると何十匹とつつきにやってきて面白い。細長いのや白黒やエンゼルフィッシュ、少しオレンジがかった黒いのや、色とりどりのやコバルトブルーのやら。人魚姫の気分で海底散歩。そこがシュノーケリングツアーのポイントなのだろう、海上に棒が立っていて足場もある。魚もよく知っていて、手を出すと餌かと思って手を突付いてくる。一段となって迫ってくるので少し恐いほど。楽しい午後を過ごした。
一回ぐらいはホテルで夕食をと、地階のレストランへ。金曜の夜はSeafood Buffetで魚料理がいろいろ($15)。
87/03/14土 晴一時雨
最終日はゆったりとショッピング。…といっても、お馴染みになったGibson'sで。そして空港へ。待つこと4時間。何の音沙汰もナシ。ただ遅れているとのこと。結局欠航となった。乗客はぞろぞろとホテルへ連行された。私達の部屋は、ガーデンの見晴らしがよく、夜景を眺めるには絶好の7階だった。
夕食は配布されたミールクーポンで。和洋中とあったが、洋のフランス料理は、入り口でGパンサンダルを拒否され、中は$9のバイキングだったので和食にした。車海老とフィレステーキ。コックさんが目の前の鉄板でもやし、玉ねぎ、肉、青菜の順に炒めて皿に盛ってくれる。加えてわかめの味噌汁、ご飯と飲みもの、カクテル。
荷物は機内に積まれてしまったから着替えも化粧品も日記も無く。仕方なく早く寝る。
87/03/15日 晴
全日空の乗員も同じホテルにいたらしく、制服のスカートにミッキーマウスプリントのビッグTシャツ姿やショートパンツ姿のスチュワーデスがのんびりしていた。普段は自由時間がなく、買い物をしに免税品店まで出ることもできないらしい。朝食後ビーチやホテルの周りをうろうろするだけ。水着があれば泳ぐのにぃ。
タクシーの運転手に聞くと交通ルールは、『先にきた車が先に行く』んだって。グアムではあちこちで交通ルールがわからずに戸惑った。大きな道でもUターンOKだったり、信号に関係なく右折できたり、右折にウィンカー出さなかったり、5号線では真中の車線はどちらからでも入れて左折のために停まる車があったり、車線がよくわからなかったり。うーん…。
空港係員の話では、修理を終えたので今日はもう大丈夫だそうだ。「一年やっていてこんなことは初めてなんですよ。でもこれに懲りずにまたご利用ください」と言っていた。初めての故障に偶然出会ってしまうなんて何という運の悪さ。でもこれが搭乗前でよかったよね。飛行途中の事故じゃたまらない。長い待ち時間を何とか過ごして機内へ。冷房が効かずに蒸し暑い。まさか墜落した日航機のようにならないだろうなと心配する。離陸予定時刻を過ぎても出発の様子がなく不安になったが、離陸後冷房も入り始めた。帰りの機内食はステーキ。さすがアメリカ仕入れのボリューム。定刻に少し遅れて無事に着陸。
預けていた車に乗り込んで空港を出た途端、エンプティランプがついた。あいにく日曜日の夜なので空港内や近くのガソリンスタンドも休み。高速に乗らずに成田市内へ向かい、ようやく営業中のスタンドを発見してホッとする。家に着くと、車庫が開いていて台所の電気がついている!ド、ドロボー!?一瞬緊張の空気が走ったが、ただの閉め忘れと消し忘れだった。盗まれたと騒いでいた父の靴も見つかり、何かとハプニングの多い旅行だったけれど、事件も事故もなくまずまず楽しい南の島だった。
<このページの最終更新日:00/06/19>