アイルランド・英国 旅日記
3日目 アイルランドの走り方


95/9/21木 天気:曇時々雨

移動 ダブリン→ベルファスト→アスローン→シャノン(600km)
朝食
昼食
夕食
YH食堂で。固い丸パン、チーズ、オレンジジュース
車内で。ツナとパスタのサラダ、ミネラルウォーター
B&Bで。野菜スープ、ゆでポテト、硬いステーキ
宿泊 シャノンのB&B IR£20.00(シングル。朝食付)

 

5:00に目覚めた。

昨夜は夜中に着いた人がやたらうるさかった。ドアの開閉、もっと気を使ってほしいな。表の通りに面した窓が開いていたので、車の音もうるさかった。ベッドの寝心地は悪くないが、少しでも動くときしきし音がして迷惑かと思うと寝返りもままならず。他の人のイビキも聞こえるし。
6:00に起きて、朝シャワー。他にも数人浴びている人がいた。

7:00 朝食。

今後の予定のためにと地図を広げて愕然、距離の単位がkmではなくマイル(1マイル=1.6km)と判明した。ダブリンから北部のベルファストへ行きゴールウェイへ1日で300kmなら何とかなると思っていたが、300マイルだった。シャノンまでは550km位だ。一人で500km/日はキツイなあ(と、この頃はまだ思っていたが、今では大した距離ではないと思うようになった)。

 

 

コラム:アイルランドの走り方

レンタカーはBudgetで借りた日産のMICRA(マイクラ。日本のマーチ)。アイルランド全走行距離は900マイル(1500km)だった。
高速道路は無料だけどちゃんと整備されている。日本と同じ左側通行だし、車も人も少ないし、ドライブ天国だ。でも、アイルランド特有のドライブ心得がある。1日走ってなんとかコツがのみこめてきた。

1)スピード。

日本なら絶対40km/時になりそうな場所を、皆80km位でびゅんびゅん。

2)数字の単位

標識の数字に単位がないが、白黒の文字はマイルで、緑黄の文字はkm。車のメーターもkmと思っていたらマイルだった。

3)交差点の標識

日本では、矢印が複数描かれた1枚の看板がドライバの目の前に出てくるが、アイルランドでは、1本の棒が道の脇に立っていて、その棒からは四方八方、実際の方向に向いた板に地名と距離が書いてある。次の交差点を直進する道を確認しようと思ったら、交差点を少しすぎてから後ろを振り返らなければならない。なんともやりにくい。最初、この看板を見逃し、何度もUターンした。
また、標識が少なく、見落とすと2-30マイル先の次の交差点まで行って間違いに気づくという(私がしたような)ことがあるため、注意が必要。

4)ロータリー

信号がない代わりに、ロータリーがたくさんある。今までに何度か経験したのでそんなに違和感なかったけれど、日本にはあまりないので慣れない。ロータリーに入る前に、次に曲がるのは右の方向だなと思っていても、ぐるりと回っているうちに、もとから何度回転したかわからなくなるので、ロータリーに入って何本目の道を左に入る、と覚えておかなければならない。

5)ヒッチハイク

多いとは聞いていたが、それにしても多い。朝、ダブリン→ベルファストへの道ではうじゃうじゃいた。老若男女、学生も多い。スクールバスはないの?自転車は?でも、私の前後で拾っている車は殆どなく、皆素通りしていた。私は、急いでなければ、危なくなさそうな人を選んで乗せてもいいと思っていたが、結局ずっと急いでいて余裕がなく、誰も乗せなかった。

 

昼頃 ベルファストBelfast到着。

北アイルランド紛争の本拠地であるベルファスト。1969年に始まった本格的な紛争は、3000人以上の市民を巻き込み、25年後にようやく停戦にたどり着いた。その'94年9月のIRAの停戦宣言以来、ちょうど1年がたったところだ。

どこかに国境があるだろうと思っていたが、全く気付かなかった。CHANGED MONEYという看板がやたらと目立ち始めた辺りがそうなのだろうな。入国があまりにスムースだったので、越境した意識もなく、ベルファストの街中で黒塗りのタクシーを見て、初めてイギリスと実感した。装甲車などいるかと思ったが、見当たらず。ベルファストは平和な街だった。強いていえば、POLICE(ちなみにPOLICEは北アイルランドのみの呼称。アイルランド共和国内ではなんだか忘れちゃったけど違う呼び名がある)が車をとめて軽い検問をしていたのが紛争地域と思わせる場面。
駐車場(£1.10/時=¥190)に車を置き、街を歩く。車中の音楽用にテープを買った。アイルランドにちなんでU2やIRELAND HITSなど。音楽テープもCDも日本に比べれば半額位。歩き煙草してる人が多いな、ちょっと残念。

旅行者にはただの平和な街に見えたベルファストだが、いまだカトリックとプロテスタントの居住区の境となる壁は存在するし、人々のお互いに対する不信感も根強いものがあるらしい。帰国後に見たテレビ番組で実情を知る。草の根で友好関係を築こうとする動きもあるらしいが、四半世紀続いた不仲を元に戻すのはなかなか困難らしい。

ベルファストからシャノンへは、高速道路を行けば早いけれど、風光明媚そうな湖沿いを走りたくてローカル道を選んだ。Lough Neagh湖では白鳥が2羽優雅に水に浮かんでいた。アイルランドは白鳥伝説が多いと聞いた。
車など殆ど通らない細い田舎道。イギリスに入るのに門は無かったけど、出る時にはそれらしき門が見えた。ただし、検問も何もなくただ通っただけ。モナハンMonaghanへ向かうが、道を間違え、一度出たはずのイギリスにまた入ってしまった。
ハッと気付くとガソリンが残り少ない。そして、現金もない。もう15:00はすぎているし、小さな街には銀行も見当たらない。ドキドキしながら無言で飛ばす。大きそうな街でも銀行が見つからないとがっくり。次の街までは20マイル(30km)位。その間をまたドキドキしながら進む…。

16:30頃、バリーマホンBallymahon着。

小さな街だったが、BANK OF IRELAD銀行の看板が目に入ってほっとした。1万円札を出すと、窓口のおばさんはおどけて、初めて見るわ、という顔をした。「旅の通りがかり?」「そうです。」きっと街の人は皆お互い顔見知りなんだろうな。ついでにガソリンスタンドも見つけて、満タンにした。セルフサービスかと覚悟していたが、おじさんがやってくれた。銀行の交換レートもガソリンも案外安く、安心できたし、バリーマホン、いい街じゃないか!


ローカルな道ばかりを走っていた。
カラフルでかわいい農家がたくさん。
絵葉書から。

17:10 アスローン着。

中世の町並みがお城から見渡せる。ここからはN6(Nは国道)の高速道路。Ballinasloe, Gort, Ennisと通ってシャノンShanonへ。

 

Gortの手前で、見慣れない十字架を見た。交差している真ん中に黒い布が付いている白い十字架。20cm位の高さで不規則に道端に立っている。お墓とも思えない。何の意味があるの?あとで宿のおじさんに聞いてみたが、何か宗教的なものか、よくわからないと言う。家の近くの電柱のような高い柱に、ぬいぐるみの人形がくくりつけられているのも、2,3度みかけた。これも何?不思議といえば、対向車がやたらパッシングしてくるのも何の意味かわからなかった。別にライトもついてないし、ドアが開いている訳でも、中央線を越えている訳でもない。まさかネズミとりはないだろうし。一度パッシングの後に羊の移動があり、これは容易に理解できた。今回はそれほど数は多くなく、反対方向への移動だったので、ニュージーランドでのような道路いっぱいの羊達に悩まされる事はなかった。

19:00頃 シャノン着。

辺りは暗くなって、宿探しにはちょっと遅すぎた感のある19:00すぎ。1軒目はやはり満室。紹介された他のB&Bの場所もわからず、心細くなる。ようやく別のB&Bの看板を見つけた。台所で料理しているおじさんが窓から見え、入っていくと呼び止められた。「これから夕食なんだ」。お客用かと思ったら、自分の分らしい。部屋は空いていた。私もおじさんの夕食のおすそ分けにあずかった。野菜スープと肉とジャガイモ。肉は硬かったけど、スープはいろいろ入っていて美味。宿の値段、いくらがいい?と私にきく。客に決めさせるの?「£15〜18を想定していたけど」と言うと、それで交渉成立(結局夕食もごちそうになったし、細かいのがなくて、翌朝£20出した)。おじさんは私を気に入ってくれて、日本の事を知りたがった。宗教から文化からいろいろな話をした。

 

日本の食事の前後のあいさつ、おじぎについて。宗教について。彼はアメリカ人やアイルランド人がnoisyでloudlyと嫌っていた。you speak quietly。smart。skinもきれい、などとベタぼめ。NAVYで神戸に3-4日滞在したことがあるそうだ。てんそくや朝に太極拳をする習慣や自転車が多いことなど、中国と混同しているところがあった。とはいえ、さすがに阪神大震災のニュースは知っていた。以前TVでみたカミカゼ特攻隊のこと、西欧人には信じられないという。その頃の日本人は、天皇を神とあがめ、国のために死ぬことは誇りだと考えていたのだと説明した。でも、その時代に生きていた訳ではないから、私だってわからない。
結婚するまで相手の顔も知らないというのは本当?と聞く。 お見合結婚について説明するのって難しい。日本のことをもっと教えてくれと言われて、改めて自分の不勉強とpoor Englishに情けなくなる。
神社にお参りし、教会で結婚式を挙げ、お寺でお葬式をして、生まれてから死ぬまで、日本人はあらゆる宗教を利用するけれど、特定の宗教を熱心に信仰している人は少ないのです。キリスト教信者は悪いことをしないと神様と約束している筈なのに繰り返しcriminalなことをしてしまうのはなぜ?と逆に質問すると、確かに、いい質問だと静かにうなずいていた。このおじさんは東洋に興味があるのか、好きなのは日本人、フィリピン人、ポリネシアンと挙げていた(全て海軍時代に訪れた場所らしい)。
Rose oilがいい香り。桃色孔雀の大きな扇子が飾られていた。おばから譲りうけたというアンティークの家具も素敵。暖炉も。インテリアがこっている。私はこのB&Bの最初の日本人だそうだ。

 

コラム:北アイルランド紛争

アイルランドという島は、南部のアイルランド共和国、北部のイギリスに分断されている。この分断をなくしてアイルランドを一つの国にしようという主張の共和主義と、このまま北部はイギリスに帰属し続けるべきだという主張の王室主義とが対立している。前者を推進しているシン・フェイン党という政党の軍事部門、IRA(Ireland Republican Army)の無差別なテロ活動は特に有名で、ロンドンや北アイルランドの各地で爆弾テロが多発している。対立の背景には、政治・経済的に先住のアイルランド・ケルト系民族(カトリック)が冷遇されてきたという問題がある。
北アイルランドでは、紛争のために外国企業の誘致が進まず、観光客も遠のき、ブリテン島に比較して経済状態が悪く失業率が高い。

私の訪問した95年は、ちょうど一年前の94年9月にIRAの停戦宣言が出された後のつかの間の平和な時代であったが、96年2月に停戦は打ち切られ、爆弾テロが再開してしまった。

そして98年4月、両者の和平交渉がまとまった。アイルランド共和国は今後北アイルランドの共和国への返還を要求しない、その代わり北アイルランドは自治政府を設立し、自治政府とアイルランド共和国は定期協議会を持つ。これは南北アイルランドの国民投票で合意された。

しかし、その後IRAによる爆破テロは止まない。両者で和平合意された現在では、無差別テロ活動が人々の支持を得られえるとは思えず、テロの影響で再びアイルランド統一の話が蒸し返されるとも思えない。これ以上の犠牲者が出ないことを願うばかりである。

 

 

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<このページの最終更新日:04/11/01>