アイルランド・英国 旅日記
5日目 アランセーターの生まれたわけ


95/9/23土 天気:曇時々晴

移動 ゴールウェイ→ロザヴィル→イニシュモア島→ゴールウェイ→アデア
朝食
昼食
夕食
B&B。各種シリアル、トースト、チーズ、卵料理、焼きトマト、ベーコン、ソーセージ、フルーツ、ヨーグルト、ジュース、紅茶
外で。B&Bでもらったクッキー、ミネラルウォーター。
夕 イニシュモア島のカフェ。アイリッシュシチュー
宿泊 アデアのB&B IR£13.00(ダブル)
Drehldtrasna, Adare, Co. Limerick. Tel. 061-396443

 

7:00 気持ち悪くて目が覚める。さすがに昨夜は食べ過ぎた。胃薬を飲む。

8:00 朝食。

グレープフルーツがおいしい。他は、何もかもしょっぱくてボリュームたっぷり。残すと悪いと思って一生懸命食べたら失敗。体調悪化。そりゃ食べ過ぎだって。再び胃薬を飲んで少し休む。

10:10 ロザヴィル着。

宿から約1時間。強風が吹き荒れる。駐車場のチケットが風に飛ばされてしまった。スージーが車のドアを開けた途端、強風に持っていかれ、隣の車にドアがあたってしまった。大した傷にはならなかったけど、ちょっと跡が残った。誰も見てないよね、とその場をそそくさと立ち去る。フェリー会社は複数あったが、何も考えずに手前にあったフェリー会社で往復チケットを買う。


美しい朝食の風景。部屋も豪華だけど、
食事もここが一番豪華だった。

10:30 ロザヴィル港出航。

船はひどい揺れ。客層は若く、学生が多い。波がざばんざばん、皆ずぶぬれ(でも楽しそう)。上の座席が全てうまっていたので、私達も若者に交じって甲板にいたが、あまりの揺れにスージー、ダウン。船底の部屋におりたのが更に悪かった。段々顔色が白くなっていくスージーを気の毒に見守りつつ、きっとあと少しだよ、とはげましていたが、30分過ぎても船は一向に止まる気配がない。スージーたまらず再び外へ。後を追おうとして立ち上がった私も、うっ気持ちわる…で、しばらく目をつぶって休んでいたら、少し寝てしまったみたい(スージー「あの揺れの中を眠れるなんて、キミは大物だよ」)。お願い、早く、早く、早く着いて!!と念じつづけ、まるで永遠のように思われたが、1時間でイニシュモア島に到着した。あれだけ揺れても、他の人たちは割とケロッとして元気そう。西欧人には三半規管てものがないのかぁぁ!?



島はまだか〜〜

砂糖に群がる蟻のように、乗客に群がる観光業者たち。ツアーのワゴン車や馬車、レンタバイク(自転車)、うるさいほど。上陸してふらふらの私達はとても観光どころではなく、とにかくすぐにも暖かい所でゆったり体を休めたい。£3というのを断ったのに結局£5のレンタルバイク(マウンテンバイク)で、レストランへ避難。Heritage Centreの髪を束ねたシャイなお兄さんに薦められた(というより、スージーが言わせた)カフェで元気回復させる。

12:50頃 ようやく何とか動けるようになったので、出発。

標識もなく人通りもあまりに少ないので、不安になる。こっちでいーのかしら?と反対から来た若い女の子3人組にきいたら、私達はてっきりこっちだと思っていたわ、と逆の方を指差した。でも、地図を見るとこうでしょ、と説明すると、なるほど、あなたの方が正しい、と言われた(と思う)。
長ーい上り坂。遠くに遺跡が見える。あれが目的地のドゥーン・エンガスDun Aonghusだ!と思って頑張ったのに、それは遺跡の一つドゥーン・アランDun Arannだった。風が強い。入り口には係りのお兄さんが待ち受けていて、客が来ると、車から出て来て入場料を取る。各国後の説明書を持っていたみたいだけど、さすがに日本語はなかった。この順番通りに行くんだよと説明されたが、実際の場所には番号札も何もなく、道らしき道もない。草の中を踏み入った跡があちこちにあってどこを歩けばよいのかわからない。適当に歩いていたら全然違う所から出てしまい、お兄さんに笑われてしまった。あまりに風が強く、天候も良くないし、体調が回復していないのもあって、今一熱心になれない。
ハエが飛んで来て腕に止まった。フーっと吹いたがびくともせず。スージー「彼にはそんなの全然こたえないよ。」確かに。この荒れ狂う風の中じゃ、人間の吐く息なんてそよ風位にしか感じないに違いない。


あれがドゥーン・エンガスか!?
スージーの自転車をこぐ足に力が入った

ドゥーン・エンガス周囲はさすがに人が多い。日本人も数人いた。コロセウムのような円形の遺跡の中には入れず、他には何もない。ただの石垣。断崖の迫力は昨日のモハの比ではなく、気を失うかと思うほどだった。帰りは少し時間に余裕があり、途中からサイクリングを楽しんだ。


ようやくたどり着いたドゥーン・エンガス
(紀元前に建てられた巨大な城塞)

 

 

コラム:アランセーターの生まれたわけ

イニシュモア、イニシュマン、イニシアの3島からなるアラン諸島は、アランセーター発祥の地として有名だ。アランセーターとは、ナワ編みのような独特の編みこみのある生成りのフィッシャーマンズ・セーターのこと。
私達の訪れた時もそうであったが、アラン諸島の天気はどんより曇っていて、島全体が強い風にさらされている。農業に適した土地ではなく、昔から漁業を生業としてきた島である。私達が30分でネをあげたあの荒い海に出て、男達は命がけで漁をしていた。その漁師達のために女達が無事を祈って編んだ作業着がアランセーターである。羊毛から毛糸にするときにオイルを抜かずに洗浄しているため、海水にも強い。セーターに編みこまれる模様は各家によって異なり、それぞれ意味がある。それは母から娘へと代々伝えられていった家紋のようなものであるという。型紙はない。
不幸にして嵐などで遭難した時には、身に付けているセーターの柄でどこの家の男なのか身元確認ができたという。

現代では漁業と観光が主な産業なのだろうか?
スージーが、以前アイルランドのドキュメンタリー番組を見たという。男達が毎晩PUBに集まっては、いつかここから出ていってやると哀しげな面持ちでぶつぶつ言う。
石垣に囲まれた荒れ地は、畑とも思えず。放牧場? 荒涼とした風景をかもしだしている。

 

 

お薦めのもう一件のカフェで、帰りの船便までの時間を過ごす。疲れきった体に、あったかいアイリッシュシチュー。身にしみる。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、牛肉が沢山はいったブラウンシチュー。一人じゃ食べきれない。

 

往復チケットを買ってしまっていたが、帰りは迷わずもう一方の高速船ARAN FLYERにした。早くから乗り込んで、一番揺れなそうな真ん中の席を陣取る。少し高いだけあって、客層がさっきと全然違う。若者は少ない。

17:00イニシュモア島出航。

目の不自由な人達に話し掛けられ、つたない英語で私もスージーも一生懸命しゃべる。緊張して気分が悪くなる暇もなかった。北アイルランドの障害者のサークルらしい。私の前に座ったおじいさんに促され、スージーの隣に座った男の人がアイルランドの歌を歌ってくれた。アイルランドではポピュラーな歌らしく、私達の前に座っていたこのサークルとは関係なさそうな夫婦も口を合わせて皆で歌った。釣りをしている時に暇だから、と歌う歌なのだそうだ。思わず楽しいひととき。

17:35ロザヴィル着。

このまままたゴールウェイに泊まるのもしゃくなので、リムリックの少し先、『アイルランド一かわいい村』アデアAdareを目指す。

20:30アデア到着。

町外れの一軒目のB&B。ウチは満室だけど知り合いの所にきいてあげるわ、と電話してくれた。そこも生憎ダブルルームしかあいてないという。じゃあ、街の入り口にあったホテルでもあたってみるからと一旦断ったのに、今日はドイツ人の団体客が90人も泊まっているからあそこも満室よ、と言う。それならとダブルルームで承諾。車で迎えに来てもらって先導してもらったが、林の中をずんずんと進んでいく。これじゃ、探し当てることなんて絶対無理。他のB&Bをあたったわけではないが、もしかしてB&B組合みたいなのがあって、満室の場合はお互い紹介しあうという仕組みになっているのではないだろうか?ようやく辿り着いた農家の一軒家。新しくはなく、部屋の内装もセンスなく、その上シャワーのお湯はなかなかでなくて、かわいい村というだけあって期待して来たので、(昨日の待遇に比べて)スージーは不満そう。でも、オーナーのおじさんおばさんは、素朴でとてもやさしそうだった。
夜は居間でTVニュースを見た。他に若いイタリア人夫婦。大阪の教師夫婦が子供2人を連れて8月に来たそうで、私たちは2番目の日本人。聞くとヨーロッパ中の人々が泊りに来ているようで、こんな奥地でも結構繁盛しているのね。

 

←旅日記4日目(スージーが来ない!?)へ  旅日記6日目(ジプシーの女の子)へ →

 

TOMBOY home > 旅行記 海外編 > アイルランド・英国 > 旅日記5日目 アランセーターの生まれたわけ

<このページの最終更新日:04/11/01>