ポルトガル旅行記

アルガルヴェ Algarve
プライア・ダ・ロシャ−サグレス−サン・ビセンテ

アルガルヴェ地方は、地中海に面し、温暖な気候に恵まれ、ヨーロッパでは避寒地として有名な場所だ。アルガルヴェの元となった『El-Gharb』は、アラブ語で『西の方』の意味。イスラム勢力の支配する地域の最も西に位置するためだという。

*アルガルヴェ地方の面しているのは地中海ではなく、大西洋でした(訂正:2002/01/05)

ヴィラ・レアル・デ・サント・アントニオVila Real de Santo Antonioに出た。フェリー乗り場がある。すぐ対岸はスペインのアヤモンテAyamonteだ。地中海を眺めつつ走れるかと期待していたが、全然見えないので、高速道路にのった。幻想的なラグーンがあるというOlhãoへ向かったが、今ひとつ期待通りではなかったので、次の目的地をプライア・ダ・ロシャPria da Rochaにする。ファロまでは一般道を走った。前にパトカーがいて、皆抜くことができず、お団子状態。事情を知らない2,3台後ろの車が、しびれを切らして飛び出した。かなり無理な追い越しをしようとして捕まってしまっていた。かわいそうに。捕まっているのを見たのは初めてだ。ポルトガルって運転天国?駐車場でチケット置かずに放置しても、切符切られていたことがない。皆、制限速度プラス30-40kmで走ってるし。


対岸はスペイン、アヤモンテ


Praia da Rocha

プライア・ダ・ロシャPraia da Rochaは、アルガルヴェ地方の代表的なビーチ。『岩の浜』という意味だ。海岸は砂浜なのだが、ところどころ、岩が海から突き出ている。

これまで急いで走ってきたから、ここらで海を眺めて少しゆっくりしよう。ホテルもちょっとリッチに、4ツ星のHotel Oriental。南西の角部屋。キッチン付きキングダブル。マッサージやエステもある。海辺に向いたバルコニーに出ると、真正面に上弦の月がいた。BGMにペルー音楽。メインストリートでパフォーマンスをしているのが聞こえてくる。
こんないい部屋一人じゃもったいないなあ。突然一人でやってきて、若い(とは思ってないか…)女性がこんな高級ホテルに2泊できてしまう日本て、やはり金持ちの国だと思うだろうか。高級といっても、日本に比べれば安いからできるのだけれど。


サグレス岬

朝6時は、外はまだ暗い。ゆっくり起きてプールサイドで朝食を取る。

サグレスSagresへ向かう。なぜか、ここが今回の旅の最終目的地だと思いながら、これまで来た。沢木耕太郎の『深夜特急』では、この海を見て、もういい、旅はこれで終りにしようと、それまでつかなかった決心をあっさりしている。それにあやかりたかった。悩み事を抱えて旅に出たが、サグレスの岬につくまでにはっきりしない自分の気持ちも見えてくるのだろうと期待していた。ところが、現実はそう簡単にはいかない。


サグレスの要塞


が地中海、右が大西洋*。

サン・ヴィセンテ岬Cabo de San Vicenteにも行った。サグレスと数kmしか離れていないのに、こっちに着いた途端ひんやりした北風が吹いている。日陰は寒いくらい。ナザレで別れて以来の再びの大西洋*だ。

*ポルトガルの西岸が大西洋、南岸が地中海と思い込んでいたのですが、さにあらずとの指摘を受けました。スペインのジブラルタル海峡からが地中海なのですね。ご指摘ありがとうございました >Uさん。 (訂正:2001/01/05)w


Arroz de Mariscos

サグレス岬から少し戻ったところにあったレストランMERIDIANOで、遅いランチ。どこも二人分でしかメニューになくて頼めなかったArroz de Mariscos(ポルトガル風海鮮おじや)を、一人で頼めますか?とオーダーしてみる。カニや貝や魚などなど盛りだくさん。これ、本当に一人分?最初にカニを食べようとして失敗した。殻から出そうと格闘している間に、他が冷めちゃう。おなかいっぱーい。いつものパンやチーズを頼まずにメインだけに集中しても、全部は食べきれなかった。ビール2杯とエスプレッソ付で\1100は安い。
プライア・ダ・ロシャに戻ってショッピングセンターを見つけて、買い物をしていたら、あっというまに夕方になってしまった。浜でのんびりする予定だったのに。日が沈みかけている浜に出て、夕日を楽しんだ。19:20まだ太陽は沈まない。潮風が心地よい。ベタベタしてなくてサラサラ。子供達はまだ海に入って遊んでいる。

浜に座り込んで日記を書いていると、一人の男がやってきた。夕日も沈んだしそろそろ帰ろうかなと思っていたところ。

Hotel Orientalのgardenerで、小さなfilm companyをやってて、10年前は自転車の選手でツールドフランスに出たことがあって、貸家を20軒を持っている31歳。庭師でその実態は青年実業家?(…にはどうも見えないんだけど)浜でナンパするなんてね。私、26歳に見えるって?うしし。「選手の頃は朝起きてご飯食べて一日中トレーニングで9時に終わって、という毎日。今じゃ考えられないけど。今は、朝7時から夜8時まで働いて、その後barに飲みに行って1時に帰宅する毎日。」どっちの生活が好きなの?と聞くと、昔がいいと。「自転車競技は33歳まで。あと数年あったけど辞めてしまった。ここにくる99%はドイツ人で次に英仏人。仕事はあるし、ここはいい所だ。」でも昔の生活が捨てきれない?古き良き時代を懐かしむ?「友達がエクアドルにいて、今はポーランドにいるんだけど、10歳の坊やのいる女性で、あ、ガールフレンドじゃないよ、ここへは7度も来ている。今度、永住するつもりで近いうちに来るんだ。皆ここにやってくる。ドイツ人は何軒も家を持っている。でも年に2回しかこない。」ふーん、そうなんだ。ここは7ヶ月間平均気温20度以上なんだって。そりゃあいいわさ。別荘持ちたくなるのもわかるよ。ドイツの寒いところからじゃね。
真夜中までもこうこうと明るい夜の町をぷらぷら。一人よりやはりここは恋人や家族とくるところだよなー。

 

朝はゆったり起き、遅い朝食を軽めにとる。周りを見ると、皆、昨日見た顔だ。どのくらい滞在しているのかな?確かに、隣のカップルは、ドイツ語を話している。
水着に着替えて、1時間だけ浜遊び。トップレス当然とばかり、そこここで。そのまま海へ入る人も。波打ち際をそぞろ歩きしている人多数。歩道でもできているかのよう。水は冷たい。地中海だというのに。とても全身つかる気にならない。背中の砂だけ落として退散。

あとは、昼食もとらずに、リスボンを目指してひたすら北上。テージョ川にかかる長ーいバスコ・ダ・ガマ橋を渡って、リスボンに戻り着く。13kmもあるそうだ。7マイルブリッジも顔負け。

現金が底をついてきた。明日レンタカーを帰す前に、満タンにする分のガソリンを入れると、もう何もできない。夕食はカードで豪勢に食べるか。

珍しく、宿探しで苦労した。リスボンの町には少し慣れたはずなのに、思うように行きたい所にいけず、何度もUターン。いくつかホテルをあたるが、どこも満室と断られる。なんで?結局、最初の晩に泊まったNovotelの向かいのIbisに入った。おなかぺこぺこー。昼を食べ損ねたから今日は殆ど食べていない。最後の晩は、ファドを聞かせるレストランで豪勢にと思っていたけど、もう外へ出て行く気力もなし。ホテルのレストランで食べよう。


ポルトガル料理に欠かせない干し鱈

まずは、ぺこぺこのおなかにあったかいソパ・デ・レグーメスSopa de Legumes(野菜スープ)。すごくおいしい。空腹だからか?人参のオレンジのような黄金色。ポテトと人参、他の野菜は何が入ってるのだろう?
メイン料理もおいしかった。レモンのたくさん入ったガーリックバター+オリーブオイル?に埋もれたswordfish+オニオン(これが美味しい!)+フライドポテト(これは不要)と青いパラパラはパセリか。ガーリックバターとレモンにかかったら、もうどんなものだっておいしくなるね。アサリを入れてもムール貝を入れてもよい。

翌朝は早く起きて、すぐさま空港へ。いつも思い通りの方向へ行けないのでとても緊張したが、すんなり着いてしまった。

 

コラム:ファド fado

旅行関係の広告で、ポルトガルを形容するのによく使われているのが、『哀愁のポルトガル』。
お隣のスペインの『情熱的で陽気で明るい』イメージで売り込まれているのに対し、何という対比だろう。かつての大航海時代の面影今いずこと、盛者必衰の歴史を表しているのか、それとも、ポルトガルの演歌ファドの調べを表しているのか。

ファドは『運命』という意味のFatumを語源とした言葉で、日本の演歌が酒や涙や愛や哀愁を歌っているのと同様、ポルトガルのファドも、運命、人生、愛、哀愁といったものをテーマにしている。そして、ファドを愛するのはある程度年配の人たちで、若者は陰気くさいファドなんかよりロックなどを好む傾向にあるのは、日本の演歌の人気と同様らしい。やはりポルトガルに行ったという知り合いが、現地の若者にファドをどう思うか聞かれて、お世辞に、いいですねと答えると、聞いた本人は苦笑していたそうだ。
リスボンでファドを聞けなかったなぁと思っていたので、日本に帰国してから、街角の露店で見つけて、つい『ポルトガルのファド』CDを買ってしまった。AMALIA RodriguesというFado Lisboeta(リスボン ファド女性歌手)のCD。ファド歌手としてとても有名な人らしい。音痴の私には、日本の演歌というより、フランスのシャンソンに似て聞こえてしまう。でも、チャッチャッチャッチャッ、というアコーディオンの伴奏が入れば、タンゴにもつながりそうだし、ポルトガルギター(マンドリンの外見の軽やかなギター)の奏でる調べはイタリア映画のBGMにも出てきそうだし、ラテン音楽っぽさいっぱいの、濃い音楽だなぁというのが感想。
ポルトガルの赤ワインでも飲んで、快く酔って、旅先でロマンチックな思いに浸りたい晩にはもってこいの音楽だと思う。

 

結局いつも通り、あれもこれもと欲張って忙しく駆け回る旅だった。車中の時間が長くて、人との触れ合いが少なくなってしまったのが残念。ポルトガル人は、特に気負いも卑屈感もなく、フレンドリーでも冷たくもなく、陽気でも陰気でもなく、マイペースで素朴な隣人という印象だ。あるがままを受け入れ、急がず騒がず自国を愛する。ポルトガル語をもう少し勉強して行けばよかったなぁ。笑顔を交わせる機会があったかもしれない。

さ、次はどこ行こう?

最後までお読みくださってありがとうございます。文中の誤り、リンク切れ、感想などお寄せ頂ければ幸いです→ともこ


サグレス岬にて

 

<リスボンその1> <リスボンその2> <ロカ岬> <シントラ> <オビドス> <ナザレ> <バターリャ−ポルト> <ギマランエス> <アマランテ> <グァルダ> <エルヴァス> <エヴォラ> <モンサラース> <モウラ> <サグレス−サン・ヴィセンテ−プライア・ダ・ロシャ−リスボン>

TOMBOY home > 旅行記 海外編 > ポルトガル概要 > プライア・ダ・ロシャ−サグレス−サン・ビセンテ

<このページの最終更新日:2008/08/01>